犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 娘の結婚

娘の結婚

公益社団法人くまもと被害者支援センター
自助グループさくらの会
匿  名
「犯罪被害者の声 第16集」より

3年前の春の頃です。離れて暮らす長女の様子に、何かいつもとは違う変化を感じました。いつも連絡してくるメールが娘らしくない気もするのです。体調でもなく仕事の事でもない様子。次女が事件に巻き込まれ亡くなった季節と重なった精でしょうか。夏、帰省した折、思い切って「何か話す事はない?」と尋ねると、「彼氏ができた。」とあっさり白状しました。彼の事を尋ねると、出身地も高校も同じだったとのこと。背が高くてイケメンで…と嬉しそうに話す長女の顔を見ながら、普通の父親のように「娘を取られる。」という寂しさではなく、込み上げてくるのは不安しかありません。次女の事件の事が頭をよぎります。もちろん亡くなった次女が悪い事をしたとは思ってもおりませんでしたが、「事件に巻き込まれた家」と分かった時、一体どんな反応をされるのだろうかという不安だけでした。聞けばご自宅は我が家から車で5分ぐらいのわずかな距離です。当時事件については、親である私の胸が痛むような報道を耳にしておられたはず。長女はまだ付き合い始めて間もない頃でしたから、その思いが完全に傾かないうちに、「もしかすればお付き合いだけで終わるかもしれないから、そのつもりでお付き合いしなさい」と長女に伝えました。せっかく長女は喜んで報告してくれたのでしょうが、そんな事しか言えない自身が情けなくもありました。一瞬表情が変わったようにもみえましたが、長女から「うん」とだけ返事が返ってきたのを覚えております。それ以後も二人で出かけた時の写真を嬉しそうに見せてくれました。
次女の事件については、当時犯人が自殺した事で、事件は社会的にも終わるのだと自身に言い聞かせ、その怒りをどこにぶつけたらいいのか、一体何に生かされているのかさえ分からない状況でした。近い将来子供たちに、こんな日が訪れるのだろうと分かってはいたのでしょうが、現実になった今、喜びより、ただ不安だけを抱え過ごしておりました。いつかは自身の抱えている思いに直に向かう日がくるのだろうと思っていました。
2年前のお正月に長女の同級会が終わり迎えに行くと、寒い中お店の前に長女と背の高い背広を着た男性の姿が見えました。車から降りるとすぐさま駆け寄ってきて、礼儀正しく挨拶してくれました。知らぬふりをすればできたであろうにと思うと、彼の実直さに何か温かいものを感じました。会ってしまうと抱えていた不安は心配に変わり大きく膨らんでいきます。きっとご両親は息子さんを大切に育てられたのだろう。そんなご家庭に、周りから「あの家のお嫁さんは事件のあった家から来られたそうだ。」と陰口を言われ、辛い思いをされたらと心配が募るのです。事件後、娘の花嫁姿を見る事はないと、ずっと諦めておりました。亡くなった次女が何か悪いことをしたわけでもないのに、なんとも申し訳ない思いだけが残ります。亡くなった次女の遺影に「お姉ちゃん結婚できるかなぁ」と話しかけても返事はかえってきません。ピースサインでニコニコ笑っています。
心配だけが一人歩きをしていた頃、長女から「指輪をもらった」とメールが届きました。すでにご両親は事件についてご存知との事。今更ながら、どうしても自身の口から伝えておかなければとの思いがこみ上げてきます。それは亡くなった次女と、せっかく幸せを見つけた長女のために、なんとかしてやりたいと言う思いと、彼とご家族にご迷惑をかける訳にはいかないと言う思いが、一番強かった様に思います。そして亡くなった次女を悲しませたくないとも思いました。彼の家に伺いましたが、初対面で緊張した事もあり何をどう話したのか、よくは覚えておりません。事件に巻き込まれた家の娘でも受け入れてくださいますか?という類の事は最後にお尋ねしたように思います。あまりに直接的な表現でしたので、お答えに困られるだろうなど、そんな事を考える余裕もない中、何と返事をしてくださるのだろうか。その時に亡くなった次女と長女の顔が浮かびました。親しい方に相談すると、そんなに深刻に考えなくてもよいのでは、と言ってくださる方もいらっしゃいました。長男に相談した時には、少し怒りにも似た感情があったのでしょうか。「それなら俺たちはいつまでたっても結婚できない。」確かに、私自身が子どもの幸せを壊しにかかっているのだろうかとも思えました。しかし後になって長女が辛い思いをする姿だけは見たくなかったのです。
一呼吸あいた後で、お父さんが「息子が選んだ人ですから。」あの時体の力が抜けていくのを感じました。初めて顔合わせの時、二人でケーキにナイフを入れる場面を見ながら、彼のお母さんの笑顔に流れる涙を見た時に、こんな光景があったのだと、頬に伝う涙の温かさを初めて知ったように感じました。
当時、次女が行方不明から1か月以上経過し、やっと私の元に帰って来たとき、おしゃれに関心のあった次女の姿はどこにもなく、遺体安置所のドア越しにお線香をあげました。なりふり構わず声をあげて泣きました。裁判まで何かに巻き込まれていくように時間は過ぎ、裁判中、一緒に立ち会ってくれた長男は犯人の供述を聞き、意識を無くし救急搬送されました。頼りにしていた裁判は、裁判長の言葉に深く傷つき、やっと出た判決は想像以上に軽いものでした。挙げ句の果て罪を償うこともせず犯人は拘置所内で自殺しました。そんな時間は一瞬に駆け抜けて行き、あれは夢だったのかと錯覚するほど幸せでした。亡くなった次女がくれた日であろうと感謝いたしました。
春、コロナ禍でありながら大勢の方に出席して頂き無事に式を挙げる事ができました。式の前日、長女から妹の写真が欲しいと相談があり、一緒にヴァージンロードを歩きたいとのこと。生きていればいつの日か私と歩くはずであった、このヴァージンロードを3人で歩きました。こんなうれし涙があふれる日がくることなど想像もしておりませんでした。「お姉ちゃん結婚できるかなぁ」と問いかけた日、笑顔のピースが亡くなった次女の返事だったのでしょう。
ピースをしてくれた次女に、昨年の夏「25歳の誕生日おめでとう」とひまわりの花が届けられました。もう25になったのかと、その年の重さに涙があふれました。命日にはいつもお寺に伺い供養をします。読経の後、ご住職より世の中でやってはいけない事の中に殺生がありますと法話がありました。その後はいつも現場であった山に向かいます。当時とは変わり鬱蒼と茂っていた木々は伐採され、景色はびっくりするほど、変わっておりました。次女が横たわっていたであろう現場には入れない様に支柱が立てられ網が張られていました。一番近い場所に花とお酒を供えました。今思えば地主の方にもご迷惑をかけたのだろうと思います。一礼して帰ろうとハンドルを握りふと前を見ると、道の真ん中に大きな青大将が行く手をふさいでおりました。見れば卑怯にも罪を償う事もなく自殺した犯人にも見えて、そのまま通り過ぎようかと思いましたが、ご住職の話を聞いたばかりでしたから気がひけ、石ころや木の枝を投げると、やっと草むらに逃げていきました。その事をご住職にメールしましたところ、「きっと犯人は蛇からやり直しをさせられているのかもしれません。殺せば罪が軽くなり次の生まれ変わりにいったでしょうから、そのままにしておいてよかったと思います。」とお返事があり、妙に納得した日でありました。
次女が年を重ねて行く度に、一日一日が諭され導かれていく日々であるように思います。亡くなっても本当に親孝行な娘です。