犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 繋がる時間

繋がる時間

公益社団法人被害者支援センターすてっぷぐんま
A・H
「犯罪被害者の声 第16集」より

「あの日‥」まで私たち家族は誰から見ても三人家族だった
今も我が家は三人家族だ。けれど外から見た私達は二人家族
笑顔のまま歳をとらない息子と毎年毎年歳を重ねている父と母
「おはよう」「いってきます」「ただいま」何を話しかけても返事はない
それでも笑っている息子に私達は日々の様々を話している
私達には当たり前の事だから…
「体は無くてもそこにはちゃんと息 子の存在がある」
そう想っている


「暴行及び傷害致死事件」の被害者の息子
真実を何も伝える事の出来ないまま23歳で加害者に命を奪われた
もう、声も聞けない‥触れる事もできない‥
病室で目にした息子の姿、三人で過ごした時間、二人で呼びかけ
た言葉、どんどん冷たくなってゆく体、握り返してくれる事のなかっ
た手…。想い出されるのは三人で過ごした病院での最期の時間
「もう、あの日を思いだしても大丈夫!」
と思っていても
あの日の自 分はすぐに戻ってくる‥時間が過ぎているだけ‥事件から何年たっ
ていても、この先もずっと変わらないのだろう
刑事裁判が終わって事件として終わり、民事裁判は関係者からの形
だけの謝罪で終わり、加害者の刑期が終わって世の中的に息子と
私達におこった事はすべてが終わった。ならば被害者遺族としての
私達の終わりは?
息子の「今」と同級生や息子の友人達の「今」はこんなにも違い
私 達の「今」だってこんなにも変わってしまった
加害者に変えられてしまった‥横暴で身勝手な行いのせいで変え
られてしまった息子の人生。その先の人生を見る事が出来ない両親


再婚して父になってくれた主人にはそれ以前の息子と私の想い出
はない。「あの日‥」から封印された幼い頃の息子と私の想い出
加害者は、息子の命と共に私の人生も半分奪った事にきっと気付い
てはいないだろう


5月25日は命日
3本の白いあじさいを毎年仏前に手向けている。私達には重大な出
来事でも、他の人にとっては「過去」
忘れられても仕方がないと思って数年‥‥私だってすべての人の
悲しい出来事を覚えている訳ではないから非難はできない
けれど「そんな過去の話し‥」とか「終わった話しをいつまでも‥」な
どと言われると、やっぱり心がツキンとする。私達にとっての「事件の
終わり」はまだなのだから…。
私達の「事件の終わり」は二人ともの生涯が終わった時。この世から
私達がいなくなってはじめて「事件の終わり」となるような気がする


「事件」として携わってくださった弁護士さんや検事、裁判官、裁判
員の方々には本当に感謝しています。知識のない私達を尊重して
遺族としての想いを守ってくださって…
県警犯罪被害者支援室、すてっぷぐんまさんには今でも変わらず
お付き合い戴き、支え続けてもらい感謝しかありません。私達に終
わりがこないならば寄り添ってくれ、支えてくれている「支援」にだっ
て終わりはないのだろうなぁと申し訳ない気持ちにもなります
事件の事、息子の事、加害者の事、「あの日‥」の事、私達におきた
事を話す時感情は大きく動きます。そして話を聞きながら大抵の人
は表情がくもったり、なんだか困った顔に…。
「この話をしたら困らせてしまう」と事件の事や息子の事は触れない
ようにしたり、可哀想な人と思われたくない、涙が出てしまうのがわ
かっているから積極的に話題にはしなくなり「話せる場、想い出せる
時間」が少なくなっていく中で、変わらず寄り添い、終わりの見えな
い「心の支援」を今でも続けてくださっている方々が私達にはいま
す。


心の支援 =  支えが欲しい時はいつも突然
加害者の収監先からくる通知に気持ちがざわめいたり、ニュースや
報道で刺激を受けたり、私自身が予測していないタイミングで大きく
感情が動いたりした時「心の支援」が継続しているおかげで乗り切る
ことが出来ています
もし、誰にも話すことが出来なかったら?声をかけてもらえなかった
ら?自分達だけで乗り越えなければならなかったら…支える人に
とっては大きな負担なのだろうとわかっていても今日で最後にしよ
う!とはなかなか思えず‥
時間が経ち、自分の「想い」を打ち明ける事がこんなにも難しくなっ
て、打ち明ける相手すらいなくなるなんて当時の私達は思いもしな
かったし考えもしなかった
自身の「想い」を整理し、外に出す場を私は時折いただくので向き
合ったり、打ち明けたり、想い出したりする事で以前より感情に振り
回される事も少なくなりましたが、主人は未だに息子におこった事、
犯罪被害者遺族である事を打ち明ける事に積極的にはなれずにい
ます。周囲の目の変化を前向きに想像する事が今の環境では出来
ないからなのではないでしょうか


話したくなくても色んな人が聞きにきた事件当時…
話したくても話せる人が少なくなっている今、そして、これから…


被害に遭われた方や御家族、関係者の方々にとって事件から何年
経っても「もう」というより「まだ」‥どんなに時間が経っても「まだ」‥


喜びや楽しさだけを分かち合う関係だけではなく、悲しみや悼みも
分かち合える関係をどれだけの人が築いているのだろう
だれかの悲しみや悼みにどれだけの人が自分本位ではない向き合
い方をしているのだろう。犯罪被害者遺族という立場で感じているの
は「支援には終わりはないのだろうな」という事。目に見える「終わり」
が終わりではないという事や「支援をする人」だけに負担を強いて支
援は続かないのではないかという事にどれだけの人が気付いてい
るのだろうとも思います。
感情を押し殺す事無く「自分」でいられる、自分を受け止めてくれて
いる人達がいるから私達は言葉にする事ができた
被害にあった事、被害者遺族である事を打ち明ける、知ってもらう事
が難しい、公表する事自体が安全とは限らない今の世の中
加害者からの直接的被害に家族の生活、人生を変えられ、周囲から
の間接的被害に気付いてしまう度に気持ちは沈んでしまう
けれど、被害にあう、被害にあったという事実は無かった事にはなら
ないし、その事実を無かった事にもしたくはないのです。
小さな生き物の命の保護や大切さを教える事も大事だろうとは思い
ます。けれど、私は人として「人の命の大切さ」や「心の痛み」にもっ
と、目を向け、耳を傾けてほしい、そう願っています


最後に
何年経っても「あの日‥」何があったのか話す事に苦しんでいる
父 がいる事を知っていてください
息子を想うと必ず「(事件のおこった)あの日‥」を想い出す
母がいる 事を知っていてください