犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 あの日から

あの日から

匿   名
「犯罪被害者の声 第15集」より

私と主人は結婚して二十三年、仕事の時以外、ほとんどの時間を一緒に過ごして来ました。お休みの日はいつも二人であちこちに出かけました。「何でもいいからお弁当を作ってほしい」という主人のために、毎日お弁当を作りました。仕事を終えて家に帰って来てくれるのが楽しみでした。事件の前日は休日で、一緒にT大社に出かけました。帰りの車の中で「パパと結婚して、本当に私は幸せよね」と言ったのを覚えています。

あの日、いつものように玄関先で「いってらっしゃい」と見送る私に、主人は車の運転席で「行ってくるよ」と軽く手を挙げて出勤して行きました。それが、最期の姿でした。
「刺されて意識がない」という連絡を受け、慌てて病院に向かいました。その車中で義母が、「あの子は神様に嫌われるようなことはしていないから大丈夫」と言ったことを覚えています。主人は毎朝、仏壇と神棚に手を合わせ、家族がつつがなく過ごせることを感謝するような人でしたから、「きっと神様が助けて下さる」という思いだったのでしょう。
けれど病院に着くと、主人はすでに亡くなっていました。首にひどい傷を負っていると教えられて、主人に近づくことができず、顔を見ることもできず、私はそのまま意識をなくしてしまいました。
忘れたくても忘れることができない、繰り返し、繰り返し、脳裏に浮かんでは私を苦しめる記憶です。

主人はとても家庭的な人でした。子どもたちが幼い頃はお風呂に入れるために早く帰宅し、お酒も飲まず、自分の時間を削って私との時間を作ってくれる人でした。子どもが成長してからも、「あの子たちが帰って来る時間に両親が家にいないのは、教育上良くない」と言い、結婚以来、夫婦二人で夜、家を空けることはほとんどありませんでした。下の子が高校生になり、「もうすぐ二人でいろんなことができるね」と言っていた矢先の事件でした。

あの日・・・、人生が一変したあの日。人生で一番辛かったあの日、大切な人を亡くしたあの日・・・。四年たっても、思い出すだけで胸が締め付けられるように苦しくなります。
犯人に襲われたとき、どれだけ怖かっただろう。どれだけ痛かっただろう。息絶えるとき、何を想っただろう。考えると苦しくなります。なぜ、なぜ・・・。
主人は家族のことを一番に想い、大切にしてくれた人。子煩悩で親思い。もちろん妻である私を、とても大切にしてくれていました。私は本当に幸せでした。この人と一緒なら、どんなことがあっても生きて行けると思わせてくれる人でした。
そんな主人をある日突然失って、事件から二、三か月の記憶がほとんどありません。「明日まで生きているだろうか」と周囲を心配させるほど取り乱したという通夜・葬儀のことさえ、覚えていないのです。この絶望と悲しみと不安は、誰にもわかってもらえないと思いました。
それでも、私は生きています。何度も主人の所へ行きたいと思いましたが、子どもたちの存在が思いとどまらせました。「父親を亡くして、そのうえ母親まで亡くしたら・・・。この子たちにはもう私しかいないのに、私がダメになるわけにはいかない」。生きなければという強い思いだけで生きてこられたのだと思います。

事件直後から寄り添ってくれた両親。裁判まで支えてくれた妹と義弟。毎日顔を出してくれたり、テレビ電話をかけてきてくれたり、普段と変わらぬやりとりで私を気遣ってくれた友人たち。そんな人々のおかげで、四年後のいま、私の周りには日常が戻ったかのように思えます。ただ主人がいないだけ・・・。
でも、私の心は、あの日を境にどうしようもなく変わりました。
夫婦で買い物をする人が多い日曜日のスーパーが嫌い。かつては私たちも、その幸せな人々の中のひと組だったのに・・・。私のそばに主人がいないことが、辛く、悲しい。家族団らんのCМが流れるテレビ。ファミリードラマも見たくありません。世の中の「普通」が、いまの私にとってどれほど残酷か。事件の前まで「普通」だと思っていたことに、どれほど願っても私の手が届かないことを思い知らされたから。

不安と悲しみの中、被害者支援センターに出会ったとき「ああ、私は犯罪被害者なんだ」と思ったことを覚えています。主人が犯罪によって亡くなった事実を受け入れたくなくて、事故で亡くなったんだと思いたかったのです。そう思うことで、何とか生きていたように思います。どうしてなのかは自分でもよくわかりません。犯人に対しての憎しみはもちろんありますが、そんなことより主人が亡くなった事実を受け止めたくなかったのかもしれません。
犯罪被害者支援センターの方は、とても気を遣って私たちに寄り添って下さいました。私の話を黙って聴いてくれる。それだけで、どれほど救われたかしれません。
寄り添ってくれる家族や友達にも話せないことがあります。聞いた相手を心配させ、戸惑わせるのではないか? そう思って胸の内に閉じ込めていたことを、支援センターの方には遠慮なく話せました。事件のことをすべて知り、100%受け身で否定せずに聞いてくれる人たち。事件の詳細を知りたくない私が、「現実から逃げているのかも」「主人の最期を知ってあげられなくていいのか」と罪悪感をもっても、「そのままでいい」と肯定してくれる人たち。自分の本心を安心して話せる、唯一の存在になりました。私にとってとても力強い味方ができたと感じ、本当にありがたかった。
いままでテレビドラマでしか見たことがなかった裁判は、知らない世界。不安しかなかったときも、支援センターの方がずっとそばに居て助けてくれました。どれだけ心強かったことか。感謝してもし切れません。犯罪被害者支援センターの存在がなければ、いま私はこんな風に過ごせていないと思います。
主人の死を経験し、私の人生は大きく変わりました。悲しみは癒えません。癒えることはないでしょう。犯人の存在は憎いし、一生許すことはできません。でも、私は犯人を憎むことで自分の人生を奪われたくないと思っています。犯罪を繰り返して反省もなく、人の悲しみや痛みのわからない、憎む価値もない人間だからです。間違っていると思う方もいるかもしれませんが、私はそう思います。
この先のことを考えると不安で仕方ありません。何かにつけて主人を想います。今まで気づかなかった感情に気づくことがたくさんあります。当たり前だと思っていたことは、決して当たり前ではなかった。
それでもいまは、少しくらいできないこと、辛いことがあっても、「でも、生きているじゃない」と思えます。これからも、子ども二人とともに、主人にあの世で会う日まで、あの日からの話がたくさんできるよう頑張って行こうと思います。
犯罪被害者支援センターの担当の皆さん、本当にありがとうございました。