犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 誰でも犯罪被害者になりうる

誰でも犯罪被害者になりうる

公益社団法人千葉犯罪被害者支援センター
H・I
「犯罪被害者の声第9集より」

私の父が犯罪の被害に遭うまでは「事件」なんてニュースで見聞きするだけで、テレビの向こう側の世界のように思っていた。
私達家族はみなそれぞれまじめに働き、ごく普通の暮らしをしていただけなのに…

平成25年7月26日私は仕事で大阪の関空に出張に行っていた。仕事が終わって、帰りは飛行機で成田に向かった。夜7時30分頃成田に到着し、携帯電話の電源を入れると留守電が4件も立て続けに入っていた。母からだった。母は今から10年ほど前に重い更年期障害になり、薬の飲み合わせが悪く全身がしびれて自宅で倒れ、以来精神的障害を抱えていたため、父がずっと面倒を看ていた。体調が不安定なため、離れて暮す私も常に気に掛けていた。また具合が悪くなったのかなと思い留守電を聞いたが、母の声は尋常ではないほど震え「お兄ちゃんまだ着かないの?」2件目は「お父さんが…」3件目は「お父さんが死んじゃう…」と、か細い声で入っていた。3件目を聞いた時点で事の重大さを悟り、怖くて4件目の留守電は聞けなかった。すぐさま母に電話をかけると、父が誰かに殴られ頭から血を流して救急車で運ばれたと。母はパニック状態だったので、そばにいた刑事さんに電話を代わり、事態を把握した。嘘か本当かわからなかったが、私は血の気が引き指先が一気に冷たくなり、めまいで倒れそうになった。しかし、急いでタクシーを拾って成田空港から搬送先の病院に向かった。

父(当時69才)はその日、母を病院に車で送り、その病院前の歩道に立っていたところ、当時19才の男が自転車で近寄ったが父はそれに気が付かなかった。男は通り過ぎざまに「なんでどかないんだよ」と文句を言った。父がそれに対して驚いた反応をしたところ、それに頭に来た男が自転車から降り、父に向かって歩いてきて腹部に蹴りを2発、父が訳もわからないまま謝っているにも関わらず男はなおも詰め寄り、父が自分の顔の前に防御姿勢をとった手が、男の頬をかすめると、男は反撃されると勘違いし、父の顔面を強く殴打、父は一発で気を失い、後ろにスーっと倒れ後頭部をアスファルトの歩道に強打し頭蓋骨が割れ、出血多量で救急搬送されたのだ。(後の裁判で男は「怒りのコントロールができなかった」を繰り返すだけだった)男は怖くなり父の救護もせずその場から逃げた。騒ぎに気がつき母が人だかりのほうに行くと、変わり果てた父が車椅子で目の前の病院に担ぎ込まれた。母は強烈な精神的ショックを受け、せっかく治りかけた体調は悪化してしまった。

私は救急病院に到着しICU に駆け込むと、そこには頭を包帯でぐるぐる巻きにされた父がベッドに寝ていた。後頭部の包帯が出血で真っ赤に染まり、顔面は大きく腫れ上がり、眼は瞳孔が開き、口には呼吸用の管がつながれているが、ほとんど息ができずにとても苦しそうだった。脳がやられているため全身が動かないが、時おり脚がバタンバタンと跳ね上がり、まさに瀕死の状態だった。

そばで母が泣き崩れ必死に叫ぶが父は全く反応しない。一方、医師が少し離れたところに立っていた。話を聞くともう頭の中に出血が充満して手の施しようがない。持ってあと3時間です、と言われた。突然の死の宣告を受け、急なことで信じられなかったが、父の姿を見れば素人でももう助からないとすぐにわかった。別室で頭のCT 画像を見ながら説明をされたが、医師の説明はほとんど頭に入らなかった。
愕然として頭が真っ白になった。それからほどなく弟も後から駆けつけ、家族全員で父のまだ温もりのある手を握りしめ必死に声を掛け続けたが、医師の言ったとおり事件発生から4時間後に、苦しみながら一度も意識が戻ることなく息を引き取った。自分の父親がこんな最期になるなんて…私達家族の喪失感や怒りは言葉にならないほどだが、何より父自身が母の看病でようやく治る目処がたち、老後の生活も楽しくなってきて、さあこれから第二の人生を有意義に過ごそうという矢先だったので、どんなに無念だったかと思うと胸が締め付けられる想いである。

病院で父が亡くなるとすぐに刑事さんから「明日ニュースで報道しますか?」と聞かれ、どうしていいかすぐに決断できなかった。まるでドラマの中か悪夢の中にいるようだった。犯人の自首を促すためにも実名と住所を報道したほうがいいとのアドバイスでそれに了承した。

病院から警察署に移動し刑事さんから今後のことを説明され、家に帰ったのは夜中の3時ごろだった。報道の効果があり2日後に犯人が自首をして逮捕された。刑事さんの判断、その後のケアや見回りなど心配りしていただき感謝しています。その警察からパンフレットで紹介され、事件から数日後に千葉犯罪被害者支援センターを訪ねた。わらをもすがる思いだった。向かう途中モノレールの駅で他の乗客がいるにも関わらず涙が止まらなかった。ふとホームから外に目をやると動物公園の森が見えた。生前父と母が時々行った思い出の場所だった。

とたんに父への想いが強くなり、ここから飛び降りて死んでしまいたい。本気でそう思った。
しかし、家族を残して死ねないと思い直し、支援センターにたどり着いた。そこには見るからに優しそうな2人の女性が待っていてくれた。後から車で来た母と弟と中に入り、心も身体もボロボロの私達家族を温かく受け入れてくれ、優しい言葉に3人とも涙が止まらなかった。早い段階で専門家である支援センターさんに駆け込んだことは本当によかったと思います。その後も裁判のことを中心に助言してくださり、私達の家庭事情を把握し、生活面、精神面、経済面など弁護士には行き届かない部分を本当に一生懸命ケアしていただき、今こうして冷静に振り返ることができるのも支援センターさんのお陰だと心から感謝しています。

被害者遺族として参加した裁判員裁判では、非情にも傷害致死事件として扱われ、7年の求刑に対してたったの5年の実刑判決に終わった。人一人殺しておいてたったの5年は到底納得できません。しかしそれが今の日本の刑法の実態であり、ほとんどが判例で片づけられ、被害者は泣き寝入りするしかないのです。ただ、そんな中、唯一救いだったのは、私達のために親身になり本気で戦ってくれた検事さんでした。担当してくれた検事さんには尊敬の念と感謝の気持ちでいっぱいです。

事件により生活がめちゃくちゃになっても、自分達でなんとか立て直さなければなりません。食べること寝ること、普通のことが普通にできなくなる、体調を崩して病院に行くことも増え、仕事との両立も精神的にギリギリである。
ごく一般的に病気で家族を失うのとは違って、何の準備もなく突然家族を、しかも第三者の行為により奪われ、二次被害や他人からの偏見にも惑わされ、この深い心の傷を抱えながら一生生きていかなければならないのです。でも私達犯罪被害者も皆さんとなんら変わらない普通の人間です。皆さんにお伝えしたいことは、犯罪被害は誰にでも起こりうるということ。だから国民みんなの問題として被害にあってしまった場合にどんな支援が必要なのか、周りの人はどう接したらいいのか、被害者視点で理解を深めてほしいと思います。人に傷つけられた被害者やその遺族は、人に優しく声を掛けてもらったり、温かく支えてもらうだけで心が癒され、明日も生きる力が湧いてくるのです。 世の中には犯罪被害に遭い、苦しい生活を続けている人がたくさん埋もれています。この世の中から犯罪が1つでも減ることを願うとともに、もっと被害者に優しい社会になることを祈っています。