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犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 許せない思い‐最愛の孫を奪われた家族の悲しみ‐

許せない思い‐最愛の孫を奪われた家族の悲しみ‐

公益社団法人くまもと被害者支援センター
匿名
「犯罪被害者の声第10集より」

2014年5月4日(日曜日)夜9時半過ぎ、娘から「孫娘M子(高校三年生)が朝部活に行ったきり帰ってこない。携帯電話は切れた状態。部活の仲間やコーチに電話すると午前中は欠席届を出し、午後は参加するはずなのに来ません。父親はすぐ地元署に相談に行っている」との思いもよらぬ電話あり、父親は翌朝2時すぎまでいろいろ質問を受けていたのです。

翌5日早朝夫と私は熊本市から県南A 市へ車を走らせました。M子が約束違反したり、連絡をしなかったりする事は今までないことで、不安がよぎりました。
M子はサッカー部のマネージャーであり携帯電話を必要とされ、買ってもらって三ヶ月。
鍵をかけたままのM子の自転車は家の近くのコンビニの裏で姉が見つけました。
警察の調べではコンビニの周辺の防犯カメラにはM子の姿も不審な自動車も映っていないとの事。
父と急きょ帰省した大学四年生の兄は携帯電話の通話記録を調べる為、熊本地方裁判所に申請に行き、承諾証を地元署に提出しました。

私と娘は幾度も警察署に行っても丁重に対応してもらっても仲々進行のない話。私は四、五日おきに県南A 市、熊本を行来し、県南A 市では大きな川の両岸をあっちこっち探しまわりました。
犯人逮捕後、少したって私達が知った事は警察はコンビニの防犯カメラにM子、そして車に乗り込む姿を確認していた事。五月四日の朝の最後の通話、メール、それ以前の携帯電話の相手番号、メールも調べ、県南A 市のレンタカーからも容疑者をわり出し、その男の現住所である静岡県警に協力要請。このことがもれたら前科のある犯人がM子を殺害する確率が高いとの判断で、家族にさえ一切極秘で両県の合同捜査で身柄確保に努力してもらっていた事でした。

6月6日、熊本市内にいた私は、地元署の警部補から「容疑者を逮捕し、熊本警察署に連行した」との電話を受け夕方、その男の自供どおり、県南A 市の山中で遺体発見。
6月7日県警より二人我が家に来て(夫は職場からタクシーで帰宅)今までの経過を説明してもらいました。
同日、同時間県南A 市のM子の親、兄にも説明。
6月8日熊大病院にて司法解剖され夕方5時33分M子と判明。
6月9日県警の覆面パトカーにて熊本から県南A 市へ。M子の親、兄、姉と合流し、山中の遺体遺棄現場、地元署の安置所前で合掌。そして熊本の自宅へ。
6月11日県警の覆面パトカーで熊本の自宅から県南A 市の葬場へ。
その日に在校していた高校の前で先生方の合掌して下さる中を通って火葬。そして通夜、12日葬儀。
私達は誰一人、M子の最期の顔、身体をみられず、その時は本当に何もかも無感覚の中で火葬、通夜、葬儀しました。
お骨が真白で虫歯のないきれいな歯、愛情深く育てられたM子だ!
となぜか少し思いました。

日にちがたつにつれ、本当にM子だったのかと思うことがあります。
幼い頃からいつも笑顔で明るくやさしくがんばり屋でした。
なぜ天使のようなあの孫が母親と同年令の男に殺されなければならなかったのか。
M子をきらいな人は誰一人いなかったと中学校の先生、近所の方、友人達のことばがどの新聞にものっていました。
私もM子の性格が羨ましい位、好きでした。

娘はM子の法要があるたび、読経が始まるや爆睡して娘の身体を支えねばなりません。通夜、葬儀、初七日から四十九日、一年忌、お盆と続きました。
M子の死を認めていない脳が、シャットアウトするのです。

裁判の時は被害者支援センターの方々に支えていただきました。又、三年忌(二年目)の頃まで、部屋の中で突然失神し、数分?数十分後になぜここに倒れているのか、その他、精神科の心理の医師に話しても、わかってもらえない事は私も、息子もたくさん経験しつづけています。
M子の父、兄、姉には怖くて聞けません。
私自身二年すぎてもふいにくるふるえや動悸で三十数年の車の運転をやめざるを得なくなりました。

5月4日朝8時すぎM子は元気な声で「行ってきます」と家を出て、殺されたのは数時間後でした。
犯人は5月の連休をねらって二日前、新幹線で浜松から県南A 市へ、レンタカーを借りて殺害場所を数回下見しています。
M子の身元をかく乱させる為、トレーナーの上下、靴と殺害用のロープ、睡眠薬、ビニールシート等々を周到に県南A 市で購入していました。
なぜM子につながったのか?
本人が知らない中電話番号が拡散していることを、今回初めて知りました。M子はパティシエになるのが夢でした。
その男は実年令を若くうそを言い料理人(コック)とか言葉たくみに話し、M子の話をききだし、その後今うつがひどくて、自殺したいと言い続けるようになりました。
この事件前、自殺願望の女性をだまし暴行歴のある下心のある男と気づく事なく「うつはいつかなおります。生き続けて下さい」と、人を疑うことなく育ってきたM子は必死に励まし話を聞いてやっていたそうです。
携帯電話料金を親より決められていたM子は、自分から電話することは少なかったのです。
男は自分の話を真剣に、優しく聞いてくれた人は、M子だけだった。
この人が死ねば自分も死ぬことが出来る、それが理由だそうです。

裁判で犯人は18年の判決でした。
私達はその男がM子の息の根を止めるまでの事、その後の逃亡、逮捕までのことを取り調べた刑事さんから自宅でくわしく聞きました。
内容は一生誰にも話せない位、卑劣で、人間では出来ない。いや動物さえもしない虫けら以下の行為をしたのです。
裁判ではメールの内容は読まれましたが、殺害の内容は、未成年ということもあり出ませんでした。
その男の家族(親、兄、妹)は四回の裁判に全然来ませんでした。
裁判の中で、加害者の家族の陳述文で、兄、妹共、兄弟が犯した罪に無関心というか、私達被害者の家族に対しての謝罪もないようなただのつづりかたでした。
加害者の男、兄、妹は人として育てられて、生きてきたとは全く思うことの出来ないぶきみさを感じました。
刑務所に収監される前に、留置場で自殺しました。
それで罪を償ったとその男も、その男の家族も思っているのではないでしょうか。
被害者の家族の一生続く苦しみを何とも思っていない血も涙もない一族でしょうか。

これからの長い人生を生きねばならぬ残された被害者の親、兄、妹、それぞれがM子を救ってやれなかったと、自身をせめていることを知っています。
「悪いのはあの男です。あの男をうらみ、苦しめなさい。あなた達はM子さんを大切に可愛がってきたでしょう」と心理の先生、住職他たくさんの方々から言われました。私は葬儀直後から犯人、犯人の家族の誰でもいい殺してやるとか、自殺してM子の側にいく事を何度も何度も思いました。
悪いことしたら地獄です。天国のM子に会いたい!
今私の心の中にはあの男の家族をたくさんの人の前で罵倒したい。
これは罪になるのでしょうか。

私には孫が8人いました。どの子も生まれた直後から可愛がり、大切に見守ってきました。
M子が殺害されてから、他の孫の写真を見るのが辛くなりました。
孫達と会っている時は、楽しく食事、おしゃべりしあっています。
その後、別れた後は、なぜ、なぜM子だけがいないのかと、ずっと泣きながら車を運転して帰宅。日中でも布団の中で泣き続けるというどうにもならない、どうしようもできない自分がいます。
私以上に孫達をいとしんでいる夫の苦悩も、わかっています。
老夫婦二人の間の楽しい会話だった孫達の成長していく話もできなくなりました。

殺害される一週間前、県南A 市でM子と車の中でサンドイッチ等食べながら、将来の夢、サッカー部のマネージャーとしての責任、あこがれのイケメン歌手、おいしい料理の作り方等々五時間位楽しい話をしつづけました。本当に青春まっただなかのまぶしいM子のすべてをこわしたあの男。非業の最期を17才で遂げたM子の無念さが、今、私達家族の心身に大きな試練となってのしかかっています。M子を失った悲しく辛い人生を背負い続けて、前向きに生きることは酷です。

加害者は刑が終わったり、自殺することで罪を償ったと、加害者もその家族も解き放たれ、又加害者が成人ということでその家族は法に守られ、頭ひとつ下げることなく生活しているのです。
被害者の家族は加害者の家族に何ひとつ要求することはできないのでしょうか。

母親である私の娘に代わって孫娘M子の冥福を祈りつつ奮い立て辛い辛い文章を書いている老婆がここにいます。