犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 意見陳述

意見陳述

公益社団法人ひょうご被害者支援センター
M・F
「犯罪被害者の声第10集より」

昨年8月6日、私は突然弟から電話で病院に呼び出されました。
そして、私は、何もわからないまま母の遺体と対面し、呆然としたまま弟と二人で実家へ向かいました。

実家には母の名残がありました。
台所にはその日の夕食で使うつもりらしいお肉が置いてあり、母が読んでいた読みかけの本もページを開いて伏せてありました。
きっと、母はスポーツジムから帰ってくれば、いつものように夕食を作り、父といつものように夕食を取り、本の続きをゆっくりと読むつもりだったのでしょう。
警察から返された財布には、母がその日の午前中に図書館で本を借りたことがわかる時刻入りのレシート、スーパーで少し食材を買った際のレシートが入っていました。先ほどの台所のお肉は買ったばかりだったのです。
なぜ、ここに母はいつも通り帰って来られなかったのか。
この被告人が母をこの世から消し去ったからです。
私は、昨年の8月6日から時が止まってしまいました。

母は、山口県の田舎の7人兄弟の家に生まれ苦労の連続でした。
昭和30年代の高度経済成長期に、15歳で一人全く縁もゆかりもない都会に出てきて、紡績工場に住み込みで女工として昼も夜も働き、親や家族を助けてきました。ずっと一人で、経済的に苦労しても働き続け、心を折ることなく真面目にまっすぐに働いてきました。私はそんな話を聞いて育ち、小さいころからずっとそんな母を誇りに思っていました。
誰しも人生にいろいろな物を背負っています。結婚生活も苦労が尽きないものだと思います。母にも数々の人生の苦労がずっとありました。
それでも、母はどんなことがあっても自暴自棄にならず、静かに自分を律して、人に甘えることなく、周りの人にやさしく親切に接して生きてきました。

母は私の子供達をとてもかわいがってくれ、少しでも長い間孫を見ていたいから長生きをしたいと言って、病気やけがをしないように毎日本当に健康に気を付けて生活をしていました。スポーツジムに通っていたのもそのためです。 ところが、そのスポーツジムに通う道中の母を、この被告人が死なせたのです。

母はもう何よりも楽しみにしていた私の子供達の成長を二度と見られません。母は、その瞬間まで自分が死ぬなんて予想はしていなかったでしょう。あの道をいつものように南に走り続けてスポーツジムに行かせてあげたいです。いつものジム仲間と過ごしてから、いつものように家に帰り、父と二人楽しく夕食を取ってほしかった。

事件の日は、父がちょうど山登りから帰ってきた日であり、土産を持って楽しみに帰宅した父の嘆きを思うと辛いです。
被告人はなぜあれほどの飲酒をしながら運転をするなどという愚かなことが出来たのか。飲酒をして運転すれば悲惨なことが起こるという当たり前の想像が及ばなかったのか。

私には、まだ小中学生の息子が二人います。
被告人にも息子が二人いるそうですが、このような自分の生き様を我が子に見られて、人の親として恥ずかしさを感じないのでしょうか。
今回の事件がなければ、被告人が居なければ、被告人があの日飲酒さえしなければ、飲酒をしたとしても運転さえしなければ、今でも母は元気に生きていました。
私もここには立っていないでしょう。
先のゴールデンウィークには、昨年同様母と皆で六甲山でのハイキングを楽しんだことでしょう。 母の大量の血が流れたあの道は、実家のすぐ近くで、私が子供の頃から母と何度も歩いた思い出のある道です。

母が救急車で運ばれた県立西宮病院は、母が私たち兄弟を出産した何より幸せな思い出のある場所です。
どこもかしこも何を目にしても、そこには母がいたはずと思い、辛いです。街で、お店で、すぐ横で笑っているはずの母の顔が浮かび、その直後にブルーシートに覆われた傷だらけの悲惨な死に顔が浮かび、動悸とパニックがして、もう普通に楽しい気持ちで街を歩くことは一生できません。

被告人は、母の全てを踏みにじったのです。それと共に私の人生も母の思い出も未来も真っ黒にしたのです。
私は母を奪われてから、明るい気持ちになることが出来ず、死ぬまでこの事件の記憶と母が突然この世から消えた悲しみと被告への怒りと共に生きるしかありません。大切な人を殺されるとはこういうことなのです。
母は、こんな惨めな結末を迎えるような人生を送ってはいないはずです。母を今すぐに返して下さい。事故になど遭わずに、やってくるはずだった今日を返して下さい。反省とか罪を償ってほしいとかそんな言葉ではとても私の気持ちは表せません。被告人には、私や父に対してではなく、母本人に対して本心から命を奪って申し訳ないと頭を下げてほしい。どんなに傷つき痛かったか、刑務所の中で、なるべく長い年月母の苦しみを思い続けてほしい。
私から見れば、今回の事件は、単なる交通事故ではなく、車を凶器とした恐ろしい殺人や凶悪犯罪と何も変わりません。

結局、今回の事件は、被告が自分のこと及び目先のことしか考えず短絡的な行動ばかりしてきた結果、発生した事件です。被告人はこれだけ多量の飲酒の習慣がありながら、それを家族・知人から指摘されるのを恐れ、そのような自分自身と向き合う覚悟を持たず、逃げてばかりの人生を送ってきているように思えます。少しの間刑務所に入ったくらいで真人間になれるとは到底思えません。
一生懸命生きてきた母の人生をこんな人間に奪われるなんて許せません。この被告人がハンドルを握ることを見逃し続けてきた家族についても許すことはできません。
今回の裁判を見ていて、被告人は、一般的な世間の人間とはもはや感覚が違うということが良くわかりました。普通の主婦が道を踏み外した、過ち程度の事件とは訳が違うのです。
真人間にならなければ反省の気持ちを持つこともできません。
そのためには長い間刑務所に入っていなければならないはずです。

あの日、母はどんなに怖かったでしょう。どんなに無念だったことか。最後に何を思ったのでしょうか。あの8月の暑い真っ昼間に、あんな道端で無残な姿で死んでいった母がかわいそうでたまりません。
私自身、その時母に何が起こったのかが知りたい、その一念で裁判への参加を決め、自分の体調や夫や子供との時間を犠牲にし、裁判の時を想像し続けて、この9か月間を裁判への準備に費やしてきました。
この9か月間毎日が8月6日だったのです。

この裁判で真実を知れると信じてきたのに、それを覚えていないと言い切る被告人。私はこの怒りをどうすればいいのでしょうか。
私たちにとっては、この怒りをはじめとした感情、そしてこの事件の悲惨さを被告人の刑の長さで表すしかないのです。正しい法の場で被告人を裁いてもらう他はないのです。どうか遺族の気持ちをご理解いただきますよう切にお願い申し上げます。

ずっと事件の瞬間のことは記憶にないと言い張ってきた被告人には、その瞬間に自分が何をやったのか永遠に考え続けてもらいたいです。
以上