犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 今、思うこと

今、思うこと

公益社団法人にいがた被害者支援センター
自助グループ 「ひまわり」
T・M
「犯罪被害者の声第10集より」

平成13年10月30日、当時19歳が運転する車によって交通事故に遭い、最愛の夫を亡くし、私と次男も大ケガを負いました。
私の両親は、事故の事は必要以上に私に教えてはくれませんでした。
なぜなら加害者は私の両親と同じ町内に住んでいる子だったからです。

当時はまだ新潟には被害者支援センターも立ち上がっていませんでしたし、警察に被害者支援室があるかさえ、わかりませんでした。
わたしは事故の記憶のないまま一年、次男が一年半入院しているなかで、夫が加害者なのか被害者なのかわからず、不安でたまりませんでした。いつもなら何をするにも必ず夫がそばにいてくれたのに、その夫がいないのですから、本当にどうすればいいのか、なにも考えられない状態でした。でもたまたま新聞を見たとき、全国交通事故遺族の会があることを知りました。わらにもすがる思いで、東京の事務所に電話したのを15年たった今でも忘れることができません。東京の事務所には、山形のあるご夫婦を紹介されました。その方も交通事故で息子さんを亡くされていて、私の今後の不安や次男の治療に関しての愚痴を私のこころに寄添って聞いてくれました。その時々に本当に心から寄り添ってアドバイスもくれました。実の両親より頼りになりました。

加害者は未成年でしたが、本人の態度など加害者側が私たち家族にした行為で、家庭裁判所に送られましたが、成人としての処遇が妥当ということで逆送致され、刑事裁判になるとの通知をもらいました。
でも刑事裁判になると知っても、何をどうすればいいのか、どこに相談したらいいのかわかりませんでした。そのときに思いついたのは全国交通事故遺族の会でした。的確なアドバイスをもらい、私一人で裁判所までいって訴状を見ることができました。その時初めて交通事故に遭い夫を亡くし、もう夫は私の所には戻ってこない現実をつきつけられました。刑事裁判ではまだ被害者参加制度がなかった為、唯一できることは、意見陳述をすることでした。検察官のお力を借りながらどうにか意見陳述をしました。今考えると自分の気持ちを十分に言えたのかわかりません。未成年でしたが、どうにか執行猶予なしの実刑を勝ち取ることができました。

そのときの裁判官は加害者に対して、どうしてこのような判決がでたのか、諭すように、そして更生をしてほしいと
話していました。加害者は刑事裁判で「一生をもって償います」といったのです。でも刑務所に収監され、出所してきてもいまだ夫の位牌にも、私たちの所にも謝罪にきていません。それで本当に更生したと言えるのでしょうか。 加害者は出所してきたから事故のことはそれで終わったことなのでしょうか。

私たち被害者はあの10月30日から生活が180度変わり、次男は当時小学4年生でしたが、大学に上がるまで6度の手術に耐え、一番子供らしく遊びたいとき友だちとも遊べず、治療やリハビリに通う毎日でした。
あの交通事故に遭った年の夏には、柔道では武道館、相撲では両国まで行き、これからの活躍に親ながら期待もし、楽しみでもありました。それはもうかなわない夢で終わりました。

長男は当時中学1年で、ただ一人でお父さんの死に立ち会いました。
立ち会ったといえば聞こえはいいのですが、それはただ長男を待っていただけで、すぐに人工呼吸器をはずされ、中学1年生が死亡宣告を一人で聞いたのです。それを思うと長男はどんなに切なく苦しかっただろうと想像するのも怖いです。

夫を亡くし、次男の治療の中で、刑事裁判が終わり民事裁判も終わったころに、やっと新潟にも被害者支援センターが立ちあがり、自助グループができることを知りましたが、私は参加することに初めは躊躇する気持ちもありました。なぜなら事故に遭ってから私たち家族は、お父さんを亡くしているにも関わらず、周囲から心無い言葉の暴力で二重に傷つけられていたので、世間を信じられないでいたからです。でも、私は事故について誰にも話せないでいたので一度でいいから私の気持ちを聞いてもらいたいという思いで自助グループに参加させてもらいました。

それから10年、私は被害者支援センターの人たちのいつでも優しい笑顔に助けられながら、世間に対しての不信感も徐々に薄らいでいきました。
自助グループでは、同じように被害にあったことを知り、生活の支えになっています。