犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 今を生きる少年犯罪被害者遺族

今を生きる少年犯罪被害者遺族

公益社団法人被害者支援都民センター
R・M
「犯罪被害者の声第10集より」

夜空を見上げる。
エキゾチックな三日月。
きらきら光り輝く星。
私は足を止めて星空を見上げる。再び、星空がこんなにきれいだと思うようになるとは思いもしなかった。
「じゅんいちー」
と、私は心の中で叫ぶ。そして、
「じゅんいちにあいたい」
と、つぶやく。私は、
「星になったの?天国で幸せでいる?」
と空に向かって問いかける。でも亡くなった息子からの返事がこない。私は悲しみでいっぱいになる。
「純一、幸せでいてほしい」
と、星を見て母は願う。

私の一人息子 純一は、平成十二年十月十四日に少年四人に殺害された。
その事件以来、私は楽しいとか、うれしいとか、きれいとか、あれがやりたいとかいう気持ちが次第になくなりかけていた。事件後は、電車にも乗れないほど少年に対しての恐怖心と、人に対して怖さがあった。道を歩いていても、少年を見ただけで私の心臓ははりさけそうになりドキドキしていた。

きれいなはずの花を見ても、私だけ生きていてきれいと感じてはいけない、純一は死んでしまったのに私だけ良い思いをしたら純一がかわいそう、大切な私の息子が亡くなったのに、きれいと感じることに何の意味があるのだろうとしか思えなくなっていった。

家の近くに回転寿司チェーンが出来れば、いつの間にか変わりゆく家の周りの環境が、私の息子を過去に追いやっていっているような気持ちになった。純一はもうここにはいない。私は居る。納得できない思いになった。いったいどういうことなんだろう。反対ではないかと思ったりした。純一が生きていたら、家族で大好きなお寿司を食べにきていただろう。
事件後、初めてクリスマスを迎えた日は、悲しみでいっぱいになった。おいしいと言いながらケーキを食べていた息子を見ることができなくなったからだ。クリスマスツリーや飾りものは、この年から飾ることはなくなった。

あれからもう十四年経ったのだ。
私の気持ちも変化してきたと感じる。星や花を見てきれいと感じるようになってきた。普通の人から見れば、それは普通のことと感じるだろう。
私がここまで前の状態に戻るようになるのには、かなりの時間と自分の努力が必要だった。
私は、事件に遭ったときの話を聞かれ話すだけでも、どっと疲れが出てくるのだ。いてもたってもいられないほどの気持ちに支配される。
でも仕事を続けたり、人間関係を続けて生きていくには避けて通れない道だった。

事件から十年以上経っている今でさえ、純一のことを話しているうちにとても辛くなってくるときがある。人に話してはひどく疲れ、時間がたてば回復する。その繰り返しだった。
私はこういう中でも、純一には非は無かったのだから真実を社会に向けて伝えていこう、そして、命の重さや命の大切さを伝えていこうと思うようになった。
それと共に、楽しくない、笑えない、やる気が出ない、こんな状態でも今はしょうがない、やれないのも当然と思うようにし、自分のことをいたわり、無理をしないようにしてきた。
私は、何をやっても楽しくないと思わないようにするためにも、たくさんのことに挑戦し続けた。無理をしないどころか、人一倍に走り続けてきたと思う。止まってしまえば自分は病気になり、何もやりたくない方に向いていくような気がしたからだ。そうならないように自分なりに、十四年という歳月を過ごしてきた。
亡くなった純一の為でもあった。純一が巻き込まれた事件を風化させたくないという思いがあった。事件当時の私の頭の中は、亡くなった息子のことでいっぱいだった。
とにかく、がむしゃらに今を生きるしかなかったのだ。今思うと、走り続けるのもエネルギーをたくさん必要とした。

事件当時、犯罪被害者遺族の方と知り合う機会が多くあった。その遺族の方が疲れ果てた様子で私に言い続けた言葉は、「もう何もやる気がない」という言葉だった。私も次第にそうなってきてしまうのだろうか、そうならないようにしなければいけないと思ったことを覚えている。今、その方はどうされているのだろう。どうかお元気でいてほしいと思うばかりである。

人は大変な
出来事に遭遇した時
もう駄目だと思って
静止してしまうか
エネルギッシュに
走り続けるのか
そのどちらか一つ。
困難な時、
知恵を使って考えれば
必ず抜け出せる道は
あるものなんです。

家族の中で一人でも欠けてはいけない。たった一つの大切な命なのだ。つながれ、つながれ、輝く未来の為に。
そして、一生懸命に“ 今” を生きていく。