犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 奪われた妻の生命

奪われた妻の生命

公益社団法人埼玉犯罪被害者援助センター
M・N
「犯罪被害者の声第10集より」

平成22年4月6日 普通であれば何事もなく終わる筈だった1日。
しかし我が家にとって突然この日が、忘れられない1日となってしまいました。

妻 34歳。次男1歳10か月。私の大切な家族が突然事故にあってしまったのです。
春休みの温かい日差しの日、次男を抱いて近くの公園に行こうとした妻は、青信号の横断歩道を横断中に左後方から、突っ込んできた大型車両に跳ね飛ばされ、右後輪で頭部を轢過され即死。帰らぬ人となってしまいました。次男は妻が護ってくれたようで、妻が道路で横たわるそばで、大声で泣いていたのを通りがかった小学生が救助してくれたそうです。

私が会社で昼食をすませて、休憩をしていると本社から一本の電話がかかってきました。
「市役所から電話が入りました、至急折り返し電話をしてください」
なにか不思議な電話だと思いながら、市役所に折り返し電話を掛けると「奥様とお子様が事故にあいました。救急に電話してください」
あわてて救急に電話をすると「お子様は無事です奥様は警察にいます。警察に電話してください」と言われ、妻は事情聴取でも受けているのかと思い、何か嫌な予感もしながら警察署に電話をすると「旦那様ですか?落ち着いて聞いてください。奥様は亡くなりました。」どこかのB級ドラマのようなセリフだと感じながらも、警察が嘘をつくわけがない、事実なのだろうとは思いましたが、警察の言葉に感情が追いつかない感覚でした。私が職場で妻が死んだ事を告げると同僚たちも驚きを隠せず、私にどう接したらいいのかも分からないようでした。

自宅の父母や実家の義母、幼稚園に連絡を一通りすませた私は会社を早退し自宅へと向かいます。電車の中では連結部にへたり込み、友人に電話をかけて妻が死んだことを伝えていました。長い電車の中で、一人でいることに耐えられなかったのです。友人も妻の死を受け入れず冗談のように感じていたそうです。自宅の駅について、タクシーに乗り警察署に向かうと、事故現場の交差点は騒然としていて、何台ものパトカーや消防車が来ていました。タクシーの運転手の方も事件時に現場近くにいたようで、事件の大きさを語ってくれました。

警察署について運転手さんから、泣きながら頑張るんだよと手を握ってくれたのを覚えています。警察署につき身分確認をすませると、妻に会うかどうか聞かれました。当然会わせてほしいと言ったのですが警察官から、今は会わない方がいいです。遺体処置が終わってからの方がいいですと言われ、私も妻に申し訳なく思いながらも、崩れ去った妻に会うのが怖くなり警察官の指示に従うことにしました。自宅に戻り次は次男の病院へ車で向かいました。病院では無傷な次男が私の顔を見て笑顔で駆け寄ってきたので、抱きしめ涙を流しました。

次男が無事で本当によかったと感じました。自宅に戻り夜遅くに警察署から電話が入り、処置の終わった妻に会いに行きました。警察署の薄暗い遺体安置所で横たわる妻の姿は、体中傷だらけで、顔は平べったくなり、ブラックジャックのような大きな縫合の跡、顔の横には飛び出た何かを押さえているのか、大きなガーゼがあてがわれていました。

遺体安置所で変わり果てた妻の姿を見たときに、妻の名前を叫びながら抱きしめていました。何度も何度も妻の名前を叫びながら、涙を流していました。変わり果てた妻にキスをするとその唇は石のように冷たく硬くなっていた感触を忘れることが出来ません。大声で泣きながら叫んでいる自分を何か芝居でもしているような、感覚もありました。現実味が無くてまるで夢の中の出来事のように感じていました。

妻が亡くなったことにより、生活は激変しました。片道90分の会社に通い、1歳と4歳の子供を育て、裁判や色々な手続きを一人で進めなければいけません。悲嘆に精神を犯されながらも、日々は過ぎ去っていきました。体重はみるみるうちに減少し、眠ることも出来ずに精神科にも通院し、精神障碍者手帳も交付されることになりました。

被害者遺族がこのような生活になっていることも、加害者は知りません。刑事裁判で一生かけて償うと言った謝罪の言葉も、禁固2年半執行猶予5年という判決が出た後はなんの音沙汰もありません。加害者はなんの死角もない交差点で青信号を渡っていただけの妻を次男もろとも跳ね飛ばし、死傷させたのに、執行猶予という判決でなんら事件前と変わらない生活を送り、謝罪することさえなく、運転手を続けているのです。私が一度加害者に聞く機会がありました。
「どこを見ていたのですか?」加害者は言いました「見えなかっただけです」死角の無い交差点で横断歩道の真ん中を横断している歩行者を確認しなかったのは加害者の筈です。それを見えなかったというのです。多くの事故は見えなかったのではなく、見なかったのだと思います。それでも事故を起こす人たちは自分の事しか考えることが出来ずに、自己弁護のために見えなかったと証言するのです。

多くの事故は、確認し徐行し停止すれば、起きることの無い事故だと考えます。それを自分は事故など起こさないと考えてしまうために、漠然とした運転をしていても、自分の落ち度を認めずに、被害者に非があるように、まるで運が悪かっただけのように考えてしまうのではないでしょうか。事故が少しでもなくなるためには、自分や家族が被害者にならないためには、当たり前の交通ルールを守る事、これだけで事故は減少すると確信します。

どうか皆さんには、事故は他人ごとと考えずに、いつ自分や家族が巻き込まれる恐れがあるのかを考えて、自分自身が加害者にならないための安全意識を高めていただければと思います。