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犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 心情の意見陳述

心情の意見陳述

公益社団法人かがわ被害者支援センター
K・H
「犯罪被害者の声第11集より」

高松地方裁判所御中
世間では、物騒な事件の犯人が捕まって終わったことかもしれませんが、私たち家族は一生忘れることはありません。
あの日から私たち家族の時は止まったままで前に進むことが出来ず、まだお姉ちゃんの死を理解できていません。いまだに本当か嘘か分からず、お姉ちゃんがそのうちフラっと帰ってくるのでは、どこかで会えるのではないかと思ってしまいます。
なぜお姉ちゃんがA被告人に殺されなければいけなかったのか?お姉ちゃんの恐怖と痛みと苦しみ、そしてまだまだ生きて沢山やりたい事があっただろうと思うと辛くて悲しくて胸が張り裂ける思いです。
私は小さい頃から母とお姉ちゃんの女3人家族で暮らしてきました。
いつも朝から夜遅くまで女手ひとつで働いてくれた母に代わり、その間、一つしか年の違わないお姉ちゃんは私の面倒をよく見てくれました。寂しがり屋の私を一人ぼっちにしないように、いつも傍に居てくれて、友達と遊びに行くとき、どこへ行くにも私も一緒に連れて行ってくれました。
私にとってお姉ちゃんは、時には叱ってくれる父のような存在でもあり、時には何かと相談にのってもらったり励ましてもらったりとお母さんのような存在でもありました。親には言えない悩みや日常の些細な愚痴など、なんでも聞いてくれる友達のような存在でもありました。そんなお姉ちゃんを大人になってからも何かと頼ってしまい、今思えば私はいつもお姉ちゃんに守ってもらっていた気がします。
お姉ちゃんが今まで独り身でいるのは、「もし私が結婚したら母が一人になってしまうから、私は結婚しない」と言っていたよとお姉ちゃんの会社の人が教えてくれました。いつも母の事、妹の私の事を心配していたよと。私たちには父がいません。だから決して恵まれた家庭環境ではないと思います。

  しかし、お姉ちゃんはいつも自分の事より母や私のこと、そして周りの人のことを第一に考え心配してくれる、とても心の優しい私にとって自慢の大好きなお姉ちゃんでした。 小さい頃から母の負担にならないようにと、自分でバイトをはじめ生活費、学費を稼いで母を助けるなど、今まで真面目に無駄遣いもせず生きてきました。 社会人になっても仕事を無断欠勤する事もなく、いつも遅くまで働いていました。お姉ちゃんは、周りの環境などに関係なく立派に生きてきました。 私が結婚することが決まった時や、子どもが産まれたとき、お姉ちゃんは本当に自分のことのようにとても喜んでくれました。
私が結婚し離れて暮らすようになってからも、頻繁に母とお姉ちゃんと3人で「おはよう」や「おやすみなさい」の挨拶からその日の子どもたちの出来事などをLINEや電話で連絡をとりあったりしていました。あの日も朝から3人で連絡をとり、その日は平日だったのでお姉ちゃんは仕事に出かける直前までLINEのやり取りをし、まさかそれがお姉ちゃんとの最後のやりとりになってしまうとは思いもよりませんでした。 お姉ちゃんの第一発見者となった私たち家族は、犯人が捕まるまで怖くて怖くて一人になるのが怖かったです。
お姉ちゃんを発見してから2日後、警察の司法解剖から戻って来たお姉ちゃんを初めて見ることが出来ました。お姉ちゃんの顔はまるで別人でした。どれだけお姉ちゃんじゃなければいいのにと思ったことか、何度も何度も夢であればいいのにと願いました。今まで私たちの前ではほとんど涙を見せなかった母が、お姉ちゃんの変わり果てた姿を見て、「誰がこんな酷い事を...ごめんね、ごめんね、私が代われるものなら代わってやりたい、私が死んだら良かったのに」と何度も何度もお姉ちゃんに謝り泣きじゃくりました。 お姉ちゃんの顔は顔全体がパンパンに腫れあがり、色白だったお姉ちゃんの顔は黒紫色になっていました。唇は真っ黒くなり、唇の形がないほど潰れていました。何かで何度も何度も殴られたんだと思い、体が震え上がりました。人が殴ってあそこまでなるのかと疑うくらい、悲惨な状態でした。
警察の方から、お姉ちゃんの身体にはいくつものアザがあったと聞かされました。お姉ちゃんは被害にあいながらも必死で抵抗したのでしょう。最後まで生きたいという意思が身体のあっちこっちにアザとして残ったのだと思います。 お姉ちゃんを発見するまで、1日お姉ちゃんは一人で玄関に倒れていました。気づいてあげるのが遅くて助けてあげられなくて、本当に申し訳なくて。 私たち家族は今まで家族旅行をしたことがなく、お姉ちゃんがみんなで東京オリンピックに一緒に行こうねと子ども達と約束しました。 初めて葬儀場のお姉ちゃんの棺の横でみんなで寝ました。それがお姉ちゃんとみんなで一緒に過ごしたのが最初で最後です。子どもは、なんでネエネは箱から出てこないの?なんでずっと寝てるの?写真じゃご飯食べれんよと。

あの日以来、目を閉じるとお姉ちゃんの痛ましい顔を思い出します。 そして夢を毎日見ます。その夢はあの日の朝、お姉ちゃんがA被告人から襲われている所を助けてあげられる夢です。けれども夢は夢でどんなに願っても叶わない夢です。
会いたいと言う願いと、もう会えないという悲しみ、辛さ、A被告人、あなたはこの気持ちが判りますか! 何度も何度もお姉ちゃんに会いたい会いたいと願い涙が溢れます。 葬儀には本当に沢山の方が参列してくれました。これもお姉ちゃんの人柄だと思います。県外からも駆けつけてくれ、みんな何故〇ちゃんがこんなひどい目に遭わなければならないの!なぜ?なんで?と悲しみ語りました。
お姉ちゃんの命を奪ったAを一生恨みます。 お姉ちゃんは殺されるために生まれてきたのではありません。殺されるために42年間生きてきたわけでもありません。 母が痛い想いをして命懸けで出産したのは、殺される為ではありません。
お姉ちゃんと一緒に過ごした41年間は沢山の思い出があります。それは外に出るたびにお姉ちゃんを思い出し涙が溢れてきます。 ただただ家族みんなが健康に暮らせていければそれだけで良かったのに、当たり前の小さな幸せが一瞬にして、身勝手なA被告人の行動によって奪い取られてしまいました。 私たち家族はあの日から、玄関が怖く一人では玄関に行くのが出来なくなりました。玄関が怖いです。誰かと一緒でなければ不安になります。暗闇や物音が聞こえるたびにビクッとします。 玄関のドアを開けると誰かに襲われるのでは無いかと恐怖を感じ、家に帰るたびにドアを開けると誰か倒れているのでは無いかと怖くなります。 この恐怖のトラウマは一生消える事はありません!
子ども達は大好きなお姉ちゃんに会えなくなり、「ネエネに会いたいよう!何でネエネに会えないの?」「ネエネの痛いところにお薬塗ってあげるから、お薬塗ったら早くよくなるから」と「ネエネに会いたいよう、ネエネはどこにいるの、ネエネに会いたい会いたいよう」と泣きじゃくりました。 私も子どもたちに会いたいと泣きじゃくりました。 私は子供たちに何と言ってあげれば良いのかわかりません。
お姉ちゃんは私の子どもたちを自分の子どものように接し、可愛がってくれました。仕事で遅く帰ってきても、LINEで子どもたちの事を気遣い、休日も少しの時間があるとわざわざ家に来てくれ子どもたちと遊んだり、公園や水族館などいろいろな所に連れて行ってくれました。子どもたちはお姉ちゃんのことが大好きでした。 お姉ちゃんが住んでいたアパートは、一人暮らしの母の家からも近いのと、子どもたちが遊びに来ても良いように、隣が公園になっていて、すぐ傍に駅があり、電車に乗って遊びにも行けるようにと、お姉ちゃんはあのアパートを選びました。遊びにも泊まりに何度か行き子どももお姉ちゃんもとても嬉しそうでした。お姉ちゃんが楽しみにしていた子どもたちの運動会、お遊戯会、もう見せる事が出来ません。 子どもは「ネエネにも来て欲しかったなぁ、踊りを見て欲しかったなぁ、何で来てくれないの」と泣きました。
誕生日、クリスマス、お正月、もうお姉ちゃんと一緒に祝ったり一緒に出掛ける事が出来ません。 子どもたちの成長を何よりも楽しみにしていてくれ、何より大切に想ってくれていたお姉ちゃんはもう子どもたちの成長を見ることも、一緒に遊ぶこと出来ません! 突然お姉ちゃんと会えなくなった子どもたちの辛さや悲しみがわかりますか! 家から実家に帰る途中はお姉ちゃんのアパートが見えます。子どもたちは「こっちに行くとネエネのお家があるよ!」とその道を通る時にいつも言います!「ネエネと公園で遊んだ!またネエネと遊びたいなぁ」と。 最近は「なんでネエネはお家で死んだん?」「なんで玄関で死んだん?」と聞いていきます。 誰か教えてください、何て答えてあげればいいのかを。
私は毎日泣いていましたが、子どもたちが心配し、「お母さん泣かないで泣かないで」とタオルで涙を拭いてくれ、子どもたちに心配させないように泣かないように努力してみても、やはり辛くて自然と涙が溢れてきます。 私は今は子どもたちのおかげで何とか毎日を過ごしていますが、周りには事件の事を知らない人がほとんどで、辛くても無理をして笑顔で笑っていなければなりません。

お姉ちゃんの妹に生まれたことが本当に幸せでした。お姉ちゃんが支えてくれたから、私はここまでこれました。けれど、お姉ちゃんに何も言えないまま、突然会えなくなってしまい、この想いをどうしたらいいのか、悲しみ苦しみだけが残ります。もう一度、お姉ちゃんの笑顔が見たいです。お姉ちゃんに会いたいです。お願いです。会わせてください。

私は、裁判を参加して、A被告人がどんな言葉を発するか、ずっと壁越しに聞いていました。A被告人の言葉は、ずっと淡々としていて、震えることは一度もありませんでした。そして、言い訳が多すぎます。「殺すつもりはなかった」、「取り返しのつかないことをした」と言っていましたが、全く信用できません。今でも自分は悪くない、と思っているのだと思います。 本当に殺すつもりがなかったのであれば、自分の過ちをもっともっと後悔しているはずです。犯行から6カ月余りが経っているのに、なぜこの事件を起こしたのか、今後どうすればよいのか考えていないという言葉を聞いた時には、怒りを通り越してあきれてしまいました。 傍聴席からA被告人の姿を見ていた主人からは、A被告人は、どこかを一点見つめて、何を考えているのかわからないように見えたと聞きました。やはりそうか、そう思いました。 被告人には、取り返しがつかないことをしたという気持ちはないのだと思います。今後反省をすることもないでしょう。こんな被告人に大切なお姉ちゃんの命が奪われたのかと思うとやりきれません。 どうか裁判官の皆さん、お姉ちゃんはもう何も言うことが出来ません。 A被告人の声では無く、どれだけの恐怖と痛みと苦しみを感じ、意識を失いつつそれでも生きたくて生きたくて抵抗した亡きお姉ちゃんの声を、そして自分の子どもを先に見送ることになった母の気持ちを、そして突然大好きなお姉ちゃんに会えなくなった子どもたちの辛さ、残された私たち家族の苦しみ悲しさ、そして一生死ぬまで恐怖に怯えながら暮らしていかなくてはならない私たち家族の心の声に耳を傾けて下さい。

大切なお姉ちゃんを殺害しておいて、A被告人が生きているのは間違っています。お姉ちゃんにはもう未来はありません!
人の命を身勝手に奪ったものは、その命をもって償うしかないのです。
A被告人も、死刑を受け入れると言っています。
私は大切なお姉ちゃんの命を奪ったA被告人に死刑を望みます!
どうかA被告人を死刑にしてください!
望むのはただそれだけです。