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犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 陽大(はると)がこの世を去って…

陽大(はると)がこの世を去って…

公益社団法人京都犯罪被害者支援センター
K・A
「犯罪被害者の声第11集より」

陽大がこの世を去って丸五年が経ちました。
あっという間の五年間でした。
今思い返してみますと、どうやってこの五年間を乗り越えてきたのか、はっきり覚えていません。
陽大を身ごもり、陽大を出産し、陽大と共に過ごしてきた四年という短い間はとても濃く楽しく、幸せな時間でした。
私も主人も心配性で、陽大も陽大の三つ年上の兄でさえも一人で外に出したことは一度もなく、外では必ず手を繋いで歩いていました。
しかし、この日陽大は、兄と一緒にお友達の家に行っていましたが、何故か陽大は一人で帰ってきてしまい、その数分後「にぃにがかわいそうだからむかえにいく!」と言い出し、私も主人も数歩のお友達の家だったため、初めて一人で【お子様携帯電話】を持たせて行かせてしまいました。
その、我が家の、私達の愛する息子陽大は、交通ルールをきちんと守り、住宅街の道の端をきちんと歩いていたのにもかかわらず、近所に住む陽大の兄の同級生の父親が乗る車に、突然後ろから前輪後輪で頭を二度轢かれ、天国へと逝ってしまいました。
「なぜ、一人で行かせてしまったのだろう。」「いつもなら絶対に反対するのに。」
悔やんでも悔やんでも悔やみきれません・・・。
どんなに痛かっただろう・・・どんなに怖かっただろう・・・
陽大は私達を選んで健康に生まれてきてくれたのに、たった四年しか生きることが出来ず、守ってあげることができませんでした。
陽大は私達の元にうまれてきて幸せだったかな・・・
何度もそう思います。
加害者は自己保身ばかりで反省がないということで求刑より重い判決が下り、実刑になりました。
その後、出所した後も謝罪も一切なく、私達の生活しているすぐ側に住み続け、陽大を轢いた場所を車で通っている所を見かけたりと、とても怖く辛く信じられない毎日でした。
陽大が亡くなった当日は、さっきまで私達に笑顔を見せてくれていたのに、一緒にwii で遊んでいたのに、数時間後には顔がパンパンに腫れ上がり、全く動かなくなった陽大は、警察の遺体安置室の冷たいベッドの上でした。
とても言葉にはできない、パニックと底の無い恐怖感、寂しさが襲いました。
我が子とお別れの瞬間、お骨になった瞬間、思い出すと気がおかしくなりそうになります。
もっともっと温泉へ連れて行ってあげたかった。
もっともっとマーモンのおすし(サーモンのお寿司)を食べさせてあげたかった。
もっともっと楽しいことを経験させてあげたかった。
もっともっと陽大の笑顔を見ていたかった。
もっともっと陽大に触れていたかった。
陽大がお骨になって翌日から陽大の居ない生活が始まりました。
突然居なくなった衝撃で頭がおかしくなっていたのでしょうか、私は陽大の幼稚園のバスの時間になると、バス停まで歩いて行っていました。
この日から、バス停でずっと一緒だった友人が家事の合間をぬって朝昼晩、ずっと私の側にいてくれました。
その他にも陽大の幼稚園のお友達のママさん達が絶えず私の元に来てくれて、全く食べれない私に美味しい物や手紙を持ってきてくれました。
でも、沢山のお友達がきてくれても、頭の中はカラッポで、ふとこの世にもう陽大が居ないのだという恐怖が襲ってきました。
陽大が亡くなって数日後からだったと思います。
私は陽大が亡くなったのは自分のせいだと思っていますので、陽大への申し訳ない気持ち、一人で天国に行かせてしまったこと、まだまだ沢山楽しいことが待っていただろうと悲しくて辛くて、思いが爆発し、洗面所に閉じこもり、陽大の名前を叫びながらお掃除用のモップの柄を振り回して色んな物を叩き続けました。
この様子は私はあまり覚えてなく、側にいてくれた両親や主人から聞きました。
その陽大に対する申し訳ない気持ちでカミソリで腕を何度も切りました。
両腕肘から下は切り傷だらけでした。
深く切ってしまったこともあり、救急で病院に連れて行かれ縫ったこともありました。
なぜ腕を切ってしまうのか、私もよく分かりませんでした。
陽大の側に行きたい、でも、そうする勇気がない自分の情けなさで手加減して浅く切っていたと思います。
腕を切っているときは痛いのかよく分からず、主人に泣きながら止められ、落ち着いてから腕がズキズキと疼きました。
そんな私の姿を見ていた当時小学一年生の長男も辛かったと思います。
私が暴れだすと布団にこもっていたそうです。
このままでは危ないと、被害者支援の方々に病院を紹介していただき、付き添って下さいました。
そこで、PTSD と診断され今も通院中です。
こうして五年が経ち、そんな発作も全くなくなりました。
腕も切っていません。
陽大と行った思い出の場所へも行けるようになりました。 笑えるようになりました。
ご飯もモリモリ食べれます。
お出かけも楽しくできます。
それは、陽大が私に残してくれた沢山の温かい方達のおかげです。
そして、陽大を思い出す回数が減りました・・・

今まで陽大が知らない人間がうちに来るのは陽大が悲しむのではないか、寂しく思うのではないかとなかなか前に進めませんでしたが、段々気持ちも変化していき、陽大の妹弟が欲しくなり、平成二十七年十月に陽大に妹が生まれました。
それからはめっきり陽大を思い出す事がもっと減ってしまいました。
そういう気持ちもまた、陽大に申し訳ない、可哀想、なんて冷たい母親なんだろうと思う毎日です。
当時小学一年生だった兄は中学一年生になり、当時の心の傷の後遺症が今になって出てきています。新たな試練と闘っています。
陽大の妹には「陽大にぃにやで~♡」と、毎日お仏壇の前で写真を見せているので、陽大にぃにの話になると、お仏壇を見て手を振ったりニコニコ笑ったりします。教えていないのにお鈴を鳴らして手を合わせたりもしています。
陽大が生前、幼稚園で育てていた向日葵の種を持って帰ってきていたのを、陽大が亡くなった翌年の夏に我が家の庭で植え、大輪の花を咲かせました。
大輪の花だったのに重みに負けて下を向くことなく、強くまっすぐに太陽を見つめ、キラキラ輝いていた向日葵は陽大の様でした。
その向日葵の種は大量に採れ、当時担当して下さった警察官の方に託しました。そして、その警察官の方が家で咲かせて下さり、翌年は勤務されている署に咲かせて下さいました。
このことがきっかけで、事故撲滅運動の【ひまわりの絆プロジェクト】として、初めは京都、そして関西、全国と沢山の温かい方々のお陰で広がっています。
励ましのお手紙やハガキ、メッセージも頂いております。
皆様、本当にどうもありがとうございます。
旅行が大好きだった陽大は、きっと向日葵を辿って全国旅に行くことができ、喜んでいると思います。
たった四年でこの世を去ってしまった陽大。
陽大は寂しかった私に沢山のお友達を残してくれました。
これからも、私達の家族は五人家族です。
どこに行くのも何をするのも一緒です。
ずっとずっと陽大も一緒に過ごしていきます。
陽大、どうもありがとう。
ずっとずっと大好きやで♡

陽大の母 K・A