犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 自助グループに参加して

自助グループに参加して

公益社団法人にいがた被害者支援センター・自助グループ「ひまわり」
匿名
「犯罪被害者の声第11集より」 

10年前の夏の終わり、近くの海岸へやり残しの花火をやろうと歩いて横断歩道を渡っているとき、事故は起きました。
私と、ベビーカーの中の9か月の息子は、一足先にその横断歩道を渡り少し遅れて妻と3歳の娘、妻の友人の三人は手を繋ぎながら横断歩道を渡ろうとしたところでした。私は、振り向きざまに遥か遠くに・・
車の存在はなんとなく感じながらもその恐怖が、直後に家族に襲い掛かるなどとは、感じる事は出来ませんでした。 手を繋ぎながら三人が横断歩道の中央付近に差し掛かった時、私の視界の端からその車はブレーキの音もたてずに猛スピードで三人に向かって行きました。
「危ない!!」私は叫びましたが、目前を遮って三人に襲い掛かった車はほとんどノーブレーキの状態のままに、妻と3歳の娘を跳ね飛ばしたのです。
二日後に妻は亡くなり、娘は脳挫傷や大腿骨骨折など重傷を負って二か月間の入院を余儀なくされました。頑張り屋さんで、生真面目、社会のルール、とりわけ車の運転マナーには厳しかった妻、決して運転中の携帯電話の使用を許すことのなかった妻が、交通事故の被害に遭う事など、我が家には全く想像すらできない事であり、それは他人様に起こるお気の毒なニュースの中の出来事でした。
その後、妻の葬儀、娘の看病、当時9か月の息子の養育を男手一つで背負わなければいけなくなった私は、妻の死と冷静に向き合う事も出来ないままに事故の被害者遺族として事故の加害者の処遇について、刑事裁判、民事裁判をはじめとした司法手続や、亡くなった妻に関する行政や年金手続、これまでに縁の無かったさまざまな事柄と向き合うこととなったのでした。
当時、警察の被害者支援は始まって間もない頃で、本来は私たち被害者遺族には事故後に直面する司法の手続きなどの助言や様々な支援をいただける筈でしたが、何かの行き違いから被害者支援を受けることが出来ないまま・・・私は、独学でインターネットの検索画面から情報を集める毎日でした。
その後、加害運転手は一審・二審で、禁錮2年6か月を受け、最高裁判所に上告しましたが、上告棄却で収監されました。事故から1年8 ヶ月が過ぎていました。
その間、私たち遺族は、加害運転手のなりふり構わない自己保身と戦い続け苦悩の日々を送らざるを得なかったのでした。当時の私は、ひとり親の子育てのストレスも重なり、うつ剤、睡眠導入剤が手放せなくなり、事故前から10キロ以上の体重減で、時に点滴を打ちながら日々を乗り越えようとしていました。
その様な時期に「新潟県交通事故相談所」を通して「にいがた被害者支援センター」を紹介され、自助グループとかかわりを持たせていただく事となりました。子供達も預かっていただける事で、事故以来、子供のいない場所で事故の話を語ることの出来なかった私は、初めて加害者に対する憎しみ、検察・警察に対する不満、行政職員をはじめ世間の冷たさ等々を一気に話したことを覚えています。子供達も、センターの職員の方々に良くしていただき、その後も楽しみに自助グループの会合に出席させていただいています。
自助グループでは、参加者の性別、年齢、事故の状況は様々ですが、愛する肉親を事故で失った(奪われた)という共通の立場の方々で、他人様には中々言えなかった事故に関するさまざまな気持ちを臆することなく素直に話すことが出来る場となっています。それは犯罪被害を受けた当事者でしか感じる事の無かった経験や、社会の制度などの理不尽さを痛いほど経験した者同士だからこそ話すことの出来る空間ではないでしょうか。時には抑えきれない感情に涙を流し、子育ての助言をいただいたり、呆れた関係者の余りの非常識具合に怒り狂い、むしろあきらめにも似た感情を共有したりすることもありましたが、それは溜め込んでいた感情の発散による深呼吸のような役割でしょうか。又、もう一つの側面は、経験した先輩被害者が、これから様々な困難に対峙せざるを得なくなってしまった被害者遺族の方々に対して、できる範囲の経験を語ることによって何かしらのお助けが出来ることもある事と思います。

私は、事故の当事者ではない方々と事故について話しているとき、決して犯罪被害という立場で話ができません。それは相手方の気持ちの中に「気の毒だったねえ。大変な思いをしているんだね。」と同情していただけたり、慰めの気持ちをいただけているのは、大変にありがたく思うのですが、やはり、ほとんどの人は交通事故を起こす立場になりうる事を前提に考えて、交通事故は犯罪なんだという気持ちが薄いのかもしれません。「もしかしたら自分も運が悪ければ加害者に・・・」と。交通事故を起こして人を死に至らしめる事に対する認識が、一般的な殺人事件などと比べると低いことを感じてしまいます。
重大な過失で他人の生命を奪うことは、殺人事件と何ら変わりはない筈です。
自助グループでの話でいつも出ることは、刑事裁判の加害者に対する量刑の軽さです。それは被害者の立場に寄り添うべき検事の認識さえも、「死亡交通事故の加害者の量刑は、執行猶予の確率が高いね~」といった感じです。多くの死亡交通事故の加害者に対する判決は執行猶予が付いて実刑が回避されるようです。全く予知できない、想像さえもしていない交通事故で肉親を奪われ、まるで孤立無援の状態で、社会と向き合わざるを得なくなった交通事故被害者遺族は、その立場になって初めてその困難さを知る事となるのです。そんな時だからこそ、同じ立場、同じ思いを経験した者同士だからこそ分かり合えるのだと思い、私は可能な範囲で、自助グループに参加させていただいています。 当初の私は、「加害運転手が憎い、社会が冷たい、周りから理解していただけない、子育てが辛い、大変だ。」など不満・悩みを吐き出させていただく場として自助グループに参加させていただく事が多かったのですが、次第にグループのメンバーや支援センターのスタッフと交流するにつれ他の参加者の話を聞く事ができるようになってきた様に感じられます。それが、結果として同じ思いをしている被害者遺族の役に僅か1ミリでも役に立てればと思っています。今後私自身も長く被害者遺族として周りの方々に支えられて生きて行く事となると思いますが、当事者でしかできない役割のような事が見いだせることが有れば、それはお世話になっている新潟被害者支援センターへの僅かばかりの恩返しになるのではないかという気持ちです。
事故から間もなく10年が経とうとしています。亡くなった妻の遺影はあの時以前の穏やかな表情のまま子供達と私を見守っていてくれています。3歳だった長女は13歳、中学2年生に、9ヵ月だった長男は10歳、5年生に成長しました。私は、老化・退化していくばかりですが、子供達の成長を見届ける事の出来るように健康に留意していかなければと思っています。
最後に私たち交通事故犯罪被害者遺族に対して、見守っていただいている支援センター様、関係諸団体様、また交通遺児を支援援助いただき毎年の交流事業旅行などにお招きいただいてる交通遺児基金様、その趣旨に賛同いただいている会員様方、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。