犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 あれから5年

あれから5年

公益社団法人被害者支援センターとちぎ・自助グループ「はなみずき」
N・I
「犯罪被害者の声第11集より」 

あれから5年

平成24年8月20日、夜11時30分電話。 「飛鳥さんが事故にあって心肺停止です。大田原の日赤に来て下さい。」と連絡があって、21日の0時48分死亡。あれから間もなく5年になろうとしています。長い様な、昨日の様な不思議な時を過ごしております。 飛鳥はひき逃げで殺されました。
人通りのない真暗な道に飛鳥は座っていた様です。目撃者はいなかったのですが、その事故の直前に車で通りかかった人がいました。
「あのまま座っていたらあぶないから注意しよう」と思って次の信号でU ターンし、駐車場に車を止めていた時に、飛鳥の座っていたあたりで車が止まった様に見えたそうです。それからそこに行ったら飛鳥はひかれていたのだそうです。でもその人は車が好きなので「白いボクシーでナンバーは7が見えた」と証言してくれたので、犯人は夕方逮捕されました。でも犯人は否認のしどうしだったのです。証言してくれた人が「現場にこの白いボクシーがゆっくり戻って来て走り去った」と言っているのに、何かに乗り上げた様な気がしたけど音が小さかったので石かブロックだと思った。人だとは思わなかった。石かブロックの方が大きい音がしそうですけど。
10日間の勾留が又10日伸びた日に犯人の妻と犯人の両親と兄が家に来て、言った言葉が今も心に深く突き刺さったままです。
「実は、私(妻)と娘も車に乗っていたんです。何の音もしなかったんですよ。静かに帰って静かに寝ました。人をひいたら眠れないでしょう。」くやしくてくやしくて眠れませんでした。死人に口なしで犯人達の言いなりで、終わってしまう様な気がしました。その時検事から被害者支援センターがあるから相談してみたら、と電話番号を教わって電話しました。その時の安堵感は今も忘れません。私達の気持ちをわかってもらえる。事故後初めて仲間に会えた様な気がして心がとても落ち着きました。私達も運転しますから事故は故意ではないとわかっております。
でもなぜ逃げたか知りたい。逃げたら殺人でしょう。20日間の拘留中戻って飛鳥を確認した事を隠していて、その上確認はしたけど、前の車がひいたのだと思った。と裁判の時に言ったのです。前を見ていなかったのですか?と検事が質問すると、昔、丁字路でぶつかりそうになった時があったのでミラーを見ていた。と言ったのです。夜中にミラーを見ても見えないし、ライトがつけば見なくても目に入ってくるでしょう。ウソつくんじゃないよと言いたかった。
10月25日、11月22日、12月3日、12月13日と4回目の裁判で判決。1年4ヶ月の実刑。たったそれだけ?が実感でした。先の見えない4ヶ月の裁判はとても長かった事だけおぼえてます。こんなつらい思いをする人が1人でも減る事を願っているのですが、毎日毎日事故のニュースを見ます。その被害者の心労を思うと胸が痛くなります。
事故後2年ぐらいは、1人で運転していると、涙があふれて来たのですが、この頃は加害者の娘に仕返ししたい衝動にかられます。悔しくて、憎らしくて、どうしようもなくなる時があります。
その気持ちを抑えてくれるのが被害者支援センターで立ち上げた自助グループ「はなみずき」です。毎月集会するのです。皆それぞれの気持ちは同じ。
2時間のおしゃべりがアッという間です。「はなみずき」があるから私は加害者にならずに済んでいるのです。立ち上げ当初は、皆涙、涙で話しておりましたが、3年目ともなると笑い話でもちきり。でも「はなみずき」の時だけ皆ハジけているのだと思います。心の底から何でも話せる安心感がこの場所にはあるからです。これからもず〜と被害者支援センター「はなみずき」に世話になって心のバランスを保っていこうと思っております。

今一番やりたい事 ── 飛鳥とおしゃべり。