「娘の納骨」
公益社団法人くまもと被害者支援センター
自助グループ「さくらの会」
匿 名
「犯罪被害者の声 第19集」
年が明けた令和六年元日、久しぶりに実家に帰り、皆の元気な姿を喜び合い、話は尽きることはありませんでしたが、時間が過ぎるのは早く、別れを惜しみながら帰路に就きました。家に帰りテレビをつけた途端、我が目を疑いました。目に飛び込んできた能登半島地震のニュース。元日に地震など信じられず、その悲惨な被害の様子を見ながら、つい「今日は元日なのに」と、なんとも意味のない言葉を発してしまいました。考えてみれば自然災害に、お盆もお正月も関係ないのは当たり前のこと。いつわが身に降りかかってくるか、まったく予想もできないことなのに、倒壊した家々を見ながら、きっと元日に楽しく過ごしておられたであろうにと思うと、胸が痛みました。その痛みは十年前、娘を失った事件を思い出すには十分過ぎるくらいでした。
当時テレビで報道される事件や事故のニュースを見て、被害者のご遺族は、どんなにか辛く悲しいだろうとは思っておりましたが、まさか我が身に降りかかってくるとは思ってもいませんでした。娘の遺体が発見された日から、何があったのかも理解できず、何故私の娘が殺されなければならなかったのか、誰に問うこともできず、悲しい、苦しい、辛いという感情が、ただ体の表面を流れていくだけで、心の中にはポッカリと大きな穴が空いたようでした。あれから十年という時間があっという間に過ぎていったように思います。
地震の続報を見ながら、自然に娘の仏壇に目が行きます。笑顔の遺影の後ろには、どうしても手放すことができなかった娘の遺骨があります。遺骨を納めている箱も、年月を物語るように茶色くなっています。
思い起こせば収骨の日、これほど白く輝く若さであったのに、たった十七年という短い生涯を思うと、涙で目が曇り、違い箸の方向さえ定まりませんでした。帰りの車の中で骨箱を膝の上に置くと、まるであの娘の温もりのように温かさが伝わってきます。行方不明から一か月後、ようやく私の手元に戻ってきた娘の、なんとも変わり果てた姿なのに、なんという温かさでしょう。その温もりは、娘が私を慰めてくれているようで、思わず箱をしっかりと抱きしめた事を覚えています。
娘のお葬式が終わり、七日ごとの法要でも、もう納骨の話が出、四十九日には納骨をしないと、娘さんが浮かばれないからと何度か言われました。しかしどうしても手放す気になれないのです。以前娘さんを亡くされたお母さんが、周りからの勧めで、お墓に納骨されたそうです。しかし堪え切れず家族が寝静まった後、月明りを頼りに何度も墓地へ赴き、冷たい拝石に身を寄せ泣き明かしたと、話を聞いたことがありました。もちろん、その光景を見たわけではありませんが、わが子に対する愛おしいほどの思いや痛みが、映像のように頭の中に広がっていきます。暗闇の中で我が子を思い泣いておられた涙は、あまりにも重くのしかかってきます。やはり私には「できない」と手元に置き続けてきました。
しかしその考えを変えざるを得なかったのは、地震で倒壊した数多くの家々でした。もし地震で倒壊したら、大切な娘を守ってやることができません。あのテレビで見た光景が頭から離れないのです。そこで冷たく暗いお墓というイメージよりは、納骨堂であれば少しは明るく頑丈な建物で、娘を守ってやれると考えなおしました。ご住職に納骨のことを相談した折、「お寺も古いですから地震で壊れるかもしれませんよ」と言われましたが、私は「ご本尊様のお隣ですから、それはそれで大丈夫です」と答えることができました。それは不思議なくらい正直な気持ちであったように思います。
令和六年春、娘の命日に納骨堂に向かいました。あれほど自分に言い聞かせてきた決心が、いざとなると気持ちが揺らぎます。箱から出して骨壷を入れようとすると、入り口が少しばかり狭く、蓋を取らないと入りそうにもありません。その時ちょうど長男が「入りたくないんじゃない」、その言葉に張りつめていた気持ちが切れ、堪えていたものが一気にこみ上げ、涙が止まりませんでした。何度も心の中で「お父さんの我が儘で手元においてきたのに、ごめんね」と娘に謝りながら蓋に手を置きました。十年も経てば娘の遺骨は色も変化しているのではないかと思うと、蓋を開ける勇気も出ません。やっとの思いで蓋を開けると、そこには積もったばかりの雪のように真っ白な遺骨がありました。何度も何度も心の中で娘の名前を呼びながら、やっとの思いで納めることができました。両隣りを見るとお年寄りの写真が飾ってあります。「まだ十七歳の娘です。よろしくお願いします」と手を合わせて、その場を去りました。
自宅に帰って仏壇を見ると、娘がいた場所がポツンと空いています。
今頃どうしているだろうと、まるで就職か何かで家を離れた娘を思うような気持で、その夜を過ごしました。一か月後寂しくないように、娘の友人が描いてくれたイラストや、クマのぬいぐるみを持ってお参りにいきました。娘に問いかけても、返事はかえってきませんでしたが、私自身は穏やかな気持ちでお参りすることができたように思います。
納骨した年の秋に、孫が亡くなった事を知らずにいた、私の母が百二歳で亡くなりました。とても優しい母でした。最後のお別れの時、母に「娘が先に行ってますから、必ず会ってやって下さいね。得意になって、きっといろんな所を案内してくれるはずです」と伝えました。
もしかすると今頃娘は案内するのも疲れて、子供好きだった母の温かな懐に抱かれて休んでいるのかもしれません。いずれ私もその仲間に入れてもらえるのだろうと思っています。
