犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 悪夢の10分間を乗り越えて支援活動員へ

悪夢の10分間を乗り越えて支援活動員へ

公益社団法人山口被害者支援センター
自助グループ「風の森」
K・F
「犯罪被害者の声 第19集より」

・事件当日の状況
令和4 年2 月3 日木曜日 午前10時57分 加害者と遭遇する。
近隣の無職男性から言いがかりにより、10分間の暴行を受け重症を負ってしまった。
定年後の就職先の職場にも慣れ、これから旅行や庭づくりなどが出来たのに、加害者の犯罪行為は、私や家族への人生を大きく揺るがした。
これは私にとって、本当に長い長い悪夢の10分間だった。

加害者から『お前がパトカーを呼んだんじゃろうが』の言いがかりから始まり、停車している車のドアを強制的に開けられ、右目を集中的に殴打、右胸を殴打、右腿を足蹴りされた。この間、缶ビールを飲みながら口に含んだビールを私の顔に吹きつけたり、生唾を何度も何度も吐き続けられた。現行犯逮捕されたのが午前11時07分だった。

パニック状態だったのでスマートホンのタッチパネルが出せなく、110番通報が出来なかった。やっとの思いで交番に通報ができたが、その間に殴打し続けられ重症化してしまった。あの時、ドアロックをしていたら、その場をいち早く去っていたら、暴行を受ける前に110番通報が出来ていたら、このような傷害事件にならなかったと思う。

・事件に至るまで
加害者は15年前くらい前に両親の元に帰ってきた。
私の次男が高校生の時、空き地でバスケットボールの練習をしていると『うるさい』と怒鳴られ、次男を鷲掴みし喧嘩直前となり、私の家族が110番通報した。この時から加害者は我が家に対して、恨み続け嫌がらせを繰り返して、今回の事件に発展したのである。
当時、加害者敷地から私の家は丸見えで、私が洗濯物を干していると『つまらん男やの』。また草取りをしていると『ウジ虫か』。加害者は私に対して『暴力団は出て行け』などと意味不明な言動を、近隣住民に聞こえるよう大声で叫んだ。ある寒い冬の夜零時頃(強風注意報、乾燥注意報)、私の敷地の側は林になっており、その林の角で加害者による焚火の炎が4 m近くあがり周辺を明るくて照らしていたので、火事になっては大変との思いで交番に通報したこともある。
嫌がらせがエスカレートするので、加害者をどうにかしてほしいと警察に訴えた。焚火については消防本部にも訴えたが話を聞くだけだった。また弁護士にも何度か相談に行ったが被害届がないと対応できない。結局、警察は現状の嫌がらせでは対応できなく事件(暴行・傷害)が発生しないと動かなかった。警察は地域の安全と住民の安全な暮らしを守る義務がある。警察の取り組み姿勢や司法制度が変わらなければ、いつまでたっても同様な事件はなくならない。
近隣の住民は加害者からの嫌がらせに遭っても関わりたくないため、誰一人警察に連絡しなかった。このような人間を相手にするほど馬鹿げたことはないのは当然である。結果として、我が家が貧乏くじを引いて傷害事件となり、刑事裁判から民事裁判へと多くの時間・労力・費用を遣い、怪我のために失業せざるを得ず、多大な経済的損失も負ってしまったのである。

・傷害の状況
搬送先の救急外来で検査及び処置で次の診断があった。
右眼窩底骨折 右第8 肋骨骨折 右眼瞼部裂創 右大腿部打撲傷 最も重症なのが右眼窩底骨折で、眼球を支えている骨がバラバラになり右目は垂れ下がり、普通は両目である物体を見ると一つに見えるが、左目は正常で右目は右下に15度傾いて物が重なって見える。こんな状況にこれからの治療で、元の見え方になるのだろうかと不安でたまらなかった。
治療のため大学病院形成外科で二回の入院・手術で、両目ではっきりと見えるようになった。その日は快晴で病棟から窓越しに見えた真っ青な空と街の風景が今でも思い出される。しかし担当医師から初診時に言われていた、後遺症として複視が残ることが現実になった。これはどうすることも出来ない事実なので受け入れるしかなかった。

・刑事事件から裁判まで
救急搬送の翌日の午後から、夫婦とも警察署の刑事課取調室で調書の作成が始まった。妻の調書は作成後に破棄することを刑事に告げた。何故ならば妻の調書には加害者が近隣住民への悪事をしたことが書いてあり、裁判前に加害者が国選弁護人との接見に於いて妻の調書を見た場合、後日近隣住民に迷惑がかかると思いこのように告げたのだ。
裁判にあたり一般庶民はどうしても弁護士に頼らなければならない。
何故犯罪被害者が刑事裁判で費用面の負担が強いられるのか。加害者は資産・資金力がないため、国選弁護人が選定され費用は税金が充てられる。現状では当たり前だが、勾留期間には無料の食事や居住費用は発生する。これは加害者の責任によるものだから、後に関係費用を国から加害者に請求することも必要なのではないだろうか。

一般庶民にとって初めての事件で裁判となると、検察官から出る専門用語は簡単に理解できるものではなかった。また、私の調書は、国選弁護人と加害者の接見で不都合とされる文言は全て黒塗り『不同意』として処理されてしまった。検察官より少しでも裁判長に被害者の心情や加害者への厳罰を訴えるため被害者参加制度を利用して裁判の法廷で、意見陳述を行い裁判長に訴えるよう言われた。意見陳述書は再手術前に片目を閉じ重症を負った目で、毎日パソコンに向かって作成した。加害者に対しての恨みと重罪の判決を下してほしいとの思いを込めた。
令和4 年3 月29日に刑事裁判の初公判では、意見陳述書を約10分間かけて裁判長に加害者を重罪に処してもらうよう読み上げた。読んでいる途中、事件当日の状況と加害者の行為に対して、感情が込み上げて涙が出て一時読めなくなった。
裁判は単なる形式的な手続きでしかない。加害者は資金力がなければ、無い袖は振れない。執行猶予中に事件を起こさなければ、一般人と同じ生活に戻る。後の民事裁判による損害賠償金も支払わなくても罪にならない。結局は痛い目を負い馬鹿をみるのは犯罪被害者なのだ。これが現在の日本に於ける司法の現状なのだ。
先日、『犯罪被害者のあすの会』を結成し、犯罪被害者への救済のため運動されていた弁護士の岡村勲さんが亡くなられた。奥様は事件に対しての恨みで岡村さんの代わりに自宅で殺害された。このことで岡村さんは今日の犯罪被害者等基本法や給付金制度の設立など多大な功績を残されたとラジオ番組で報道された。犯罪被害者である私も犯罪被害者給金制度を介してわずかではあるが一時金を受けることが出来た。仕事を辞めて経済的にも苦しくなった時期にこの犯罪被害者給金を頂き本当に助かった。

令和4 年4 月12日に刑事裁判の判決が地方裁判所で、懲役3 年執行猶予5 年の判決が言い渡された。加害者は自宅に戻ったため、私自身も加害者がお礼参りで犯行に及ぶのではないかと不安だった。安全確保のため防犯カメラを購入設置した。警察署により被害者保護を目的として、警察官2 名が3 交代で我が家の一室にて、24時間2 週間、防犯カメラを3 台で監視して警護に当たり、また愛犬の散歩や自治会長の業務で町内を廻る際も同行してくれた。本当にありがたかった。

・県警察本部の支援
民事裁判終了後に警察署で、県警察本部警察県民課犯罪被害者対策室の担当者より『犯罪被害者給付金制度』が適用になると言われた。私は重傷病給付金と傷害給付金が該当するので、以前勤めていた給与明細書、退職証明書、傷病手当、医療機関の治療領収書等の書類を令和5 年2 月に申請し、同年の10月に審議決定、令和6 年2 月末の給付金支給となった。損害賠償金の額には少ないが、年金生活受給者にとっては本当にありがたい給付金であった。

・PTSD発症その後の治療状況
加害者が事件当日と同じ場所で流木を拾っているのを、事件から数ヶ月後に愛犬の散歩の際に見てしまった。その夜から眠れなくなり県警察本部の心理カウンセラーに相談すると、心療内科を紹介していただいた。受診すると、傷害事件のフラッシュバックによるPTSDとの診断であった。内服で気持ちも落ち着いた令和5 年8 月下旬の朝4 時過ぎに、年老いた愛犬の散歩のため外に出ると、傷害事件現場の近くで加害者が私に気づき仁王立ちになり威嚇した。当日この状態に動揺が激しくなり、掛かりつけの心療内科を受診した。PTSDの再発と告げられ現在も治療は継続中である。

・犯罪被害者支援センターの支援と支援活動員へ
県警察本部の担当者より支援センターを紹介された。この時点では刑事裁判も終えて支援センターでの直接支援はない状況だったが、まだ癒えぬ加害者への憎悪を自分の口から話し、聞いてもらうことで気持ちが楽になったのである。その後も担当者から体調はいかがですかとの電話をいただき、一人ではなく寄り添ってくれる方があると思うと心強かった。私の場合、私選弁護士を依頼したが、関係機関などから被害者支援センターの情報があれば、検察や裁判に関しての情報を聞くことにより、難しい司法関係の諸手続きなどに対して、ある程度理解が出来るのではないだろうか。
令和6 年4 月末に支援センターの担当者より犯罪被害者支援センターのボランティアへの誘いがあり、当時は心療内科の治療中で躊躇する気持ちもあったが、多くの方々より精神・経済面への支援をいただいたので、ボランティア活動に参加させていただくことにした。犯罪被害者だからこそ出来ることは何処かに必ずあるはずである。私が経験した傷害事件で、事件当初から司法・行政・警察等での諸手続きや経験など、ボランティア活動に役立てたいと思っている。まだPTSDも完治していないが、活動に参加することで現在の自分が少しでも前向きになれると感じた。
『令和6 年度 公開講座・被害者支援員養成講座』を受講し、同年9 月30日に支援活動員の委嘱状を頂き、月に3 回程度の電話相談や広報活動に参加している。
電話相談は相手方が見えない声でのやり取りで、その方の人生を左右すると言っても過言でないと思う。どこにも相談できないで勇気を振り絞りこの被害者支援センターに電話相談されてきた方に全身全霊で対応しなければならない。日々の情報収集やスキルアップへの研修会参加はかかせない。人生約70 年を生きてきて、様々な方にお世話になったことへの恩返しとして被害者支援センターでのボランティア活動を行っていきたいと考えている。