犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 最高裁判決 事件から10年の想い

最高裁判決 事件から10年の想い

認定NPO法人長野犯罪被害者支援センター
自助グループ「つむぐ」
M・W
「犯罪被害者の声 第19集より」

1 .2015年3 月23日、午後10時7 分頃、私の長男は、横断歩道上で飲酒運転をした暴走車両に撥ねられ、直ちに救護されずに命を奪われました。まだ15歳でした。 
中学3 年生だった息子は、第一志望の高校に合格した後も、毎日塾へ行き勉強していました。春休み中だったこの日も、息子はいつものように早めにタ食を済ませ、塾へ出かけて行きました。一方、加害者は、事件現場近くの居酒屋で仲間と飲酒後に、二次会に向かうため車を運転。暴力団員から借金の形に入手したばかりの高級車の加速を楽しみながら、速度超過(民事認定時速108km)で、中央線をはみ出し、横断歩道を歩いていた息子にノーブレーキで衝突しました。衝突地点は、横断歩道上の道路中央で、息子に落ち度はなく、加害車両が走行車線を維持していれば、息子は被害に遭わずに済んだはずです。  
加害車両に高速度で撥ねられた息子は、衝突の勢いで靴も靴下も脱げて、衝突地点から50m程離れた道路北側(加害車両走行車線逆側)の歩道に倒れていました。そこはまさに自宅の目の前でした。当時私たちは、マンションの1 階に住んでおり、大きな衝突音を聞いた私は、窓から外を見ました。現場から100m程先に白い車が停車し、その後ろにもう一台、短時間ですが車が停車しました。その為、私は、車同士の事故だと勘違いしました。前方に停車した車から降りた白い服を着た男(加害者)は、道路南側の歩道を現場方向に向かいましたが、直ぐに引き返し、助手席側から自車に乗り込み、ハザードランプを点灯させました。その後、私は、男が再び、道路南側の歩道を現場方向に向かう姿を目撃しています。その男の様子は、人身事故を起こし、被害者を探しているようには見えませんでした。  
その後、私は、息子の帰宅が遅いことが気になり、夫に外の様子を見に行ってもらいました。すると外から、「早く救急車を呼べ」と夫の叫び声が聞こえたのです。私はよく分からないまま家の電話で119番通報をしました。しかし、状況を説明することができず、一旦電話を切り、携帯電話を持って外に出ました。  
外に出ると夫は近所の人と息子の救命活動を行っていました。パトカーは来ていましたが救急車は来ておらず、衝突音を聞いてから随分時間が経っているのに救急車が来ていないことに愕然としました。私は一刻も早く息子を助けて欲しいと願いながら、再び119番通報をしました。怪我を負った息子、サイレンを聞いて集まってきた人々、自宅目の前の見慣れた景色は、回転灯で赤く染まり、地獄のようでした。発生から23分後、やっと到着した救急車に息子が運びこまれるとき、3 月だというのに小雪が舞っていました。その悲しい光景を私は生涯忘れません。 
 
2 .その夜、息子は搬送先の病院で亡くなりました。息子が帰宅したら食べさせようと思い、夜食にハンバーグを用意していました。息子の部屋の片付けをして、その日の昼間に一緒に買った、高校の教科書を置く予定でした。訪れるはずだった未来が突然断ち切られてしまいました。春休み中に、息子の髪を切る約束をしていた私は、病院でハサミをお借りして、息子の髪を少しだけ整えました。その時切った髪は、何も考えずに捨ててしまいましたが、葬儀を終えて息子が遺骨になったとき、最期に切った髪を持ち帰れば良かったと後悔しました。息子の一 本の髪でさえ愛おしく思えるほど、息子に逢えない現実は辛く、私にとって息子は、いかに尊い存在であるかを痛感しました。  
息子が生まれたとき、夫と私は、この子を自分たちの命に代えても守っていこうと誓いました。でも私は、衝突音を聞いて外を見ていたのに、自宅目の前で助けを求めていた息子に気づくことができませんでした。母親なのに、息子を助けることができず、深い自責の念に苛まれました。 
 
3 .現場の状況から、加害者が安全運転でなかったことは、素人目にもわかりました。事件の夜、駆けつけた警察官に「加害者は飲酒運転ですか」と尋ねると、「少し」と言われました。その時私は、その言葉の意味をよく理解できていませんでしたが、後に、加害者の呼気アルコール検査の数値が飲酒運転の基準に満たなかったことを知りました。そして、事件から2 ヶ月が過ぎ、担当副検事から刑事処分の説明がありました。私たちは、その時初めて、加害者が自車のハザードランプを点けた後、コンビニに行っていたことを知りました。加害者は、飲酒の発覚を免れる目的でブレスケアを買い、店を出て一気に食べていました。その間、重傷を負った息子は放置されていたと思うと、事故ではない、殺されたのだと思いました。私たちは、加害者に対し、救護義務違反や過失運転致死傷アルコール等影響発覚免脱罪での処分を求めました。しかし、副検事は私たちと面会した3 日後に、加害者を前方不注視による過失運転致死罪で起訴し、その後、面会を求めても応じていただけませんでした。 
 
4 .2015年7 月、加害者の過失運転致死罪の刑事裁判が行われ、同年9 月、加害者に禁固3 年執行猶予5 年(求刑禁固3 年4 月)の刑が宣告されました。危険な運転で、交通ルールを守っていた息子の命を奪った加害者が、刑務所にすら入らない現実を受け入れることができませんでした。判決後、夫と私は、長野地検に控訴と実刑を求め署名活動を行いました。息子の同級生や保護者、大勢の皆様が協力してくださり、控訴期限までのわずか2 週間で、4 万筆を超える手書き署名を集め、長野地検に提出しました。しかし、長野地検は、「控訴理由が見当たらない」とし、加害者に執行猶予付きの刑が確定しました。 
 
5 .裁判が終わっても事件に疑問が残った私たちは、加害者の告訴を視野に入れ、事件の真相究明に奔走しました。あの夜、息子の身に何が起きたのかを可能な限り明らかにし、加害者の犯した罪に対し相応の処分を行って欲しいという思いで、事件について調べ尽くしました。目撃者や医師から話を聴いた他、専門家の協力を得て、現場近くの防犯カメラ映像から事件の状況を忠実に再現し、速度の解析やコンビニ退店後の加害者の行動を報告書にまとめました。調べを進めると、加害者の運転状況や不救護の悪質性、加害者の数々の虚偽供述が明らかになりました。加害者は、「コンビニ退店後、直ぐに北側歩道を戻った」旨供述していましたが、実際は、私が目撃した通り南側歩道を戻り、その後、息子のもとに来るまでに、3 分程空白の時間があることも分かりました。 
 
6 .2017年5 月、事件当時に加害者が処分を免れていた道路交通法違反(速度超過、救護義務違反等)について、告訴、告発しました。すると、丁度その頃、近隣住民から情報が寄せられ、運転免許を再取得した加害者が、大型ダンプの窓に不正改造を行っていることを知りました。私は寄せられた情報をもとに、犯行現場を撮影し地検に告発。そして2018年2 月、加害者は、事件当日の速度が最低でも時速96kmに達していたとし速度違反と、執行猶予中の不正改造車運転の罪で起訴されました。しかし、私たちが最も起訴を求めていた救護措置義務違反・報告義務違反は、嫌疑不十分により不起訴処分でした。その為、検察審査会に申立を行ったところ、2019年1 月、検察審査会で、不起訴不当が議決されました。しかし、長野地検は再度嫌疑不十分とし、理解できる説明は、いただけませんでした。 
 
7 .2020年9 月、長野地検に不起訴処分とされた、救護措置義務違反・報告義務違反について、上級庁である東京高検に不服申立を行ないました。その後、再捜査が行われ、時効2 カ月前の2022年1 月、長野地検は加害者を救護措置義務違反・報告義務違反の罪で起訴しました。同年6 月から行われた公判で加害者は、無罪を主張。そして、同年11月29日、長野地裁は加害者に懲役6 月(求刑1 年)を宣告しました。加害者の犯した罪に対し刑期は短いと思いましたが、実刑判決となったことで、長年に渡り処分を求め続けてきた私たちの訴えは間違いではなかったと思いました。やっと息子の墓前で報告ができると思ったのも束の間、加害者は刑を不服として控訴。そして、2023年9 月28日東京高裁は、コンビニに入店していた時間が短く、その後現場方向に戻っていると、加害者に「無罪」を宣告しました。これに対し東京高検が上告。2025年2 月7 日、最高裁は、裁判官全員一致で東京高裁の無罪判決を破棄しました。裁判官は、「原判決の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかで、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。被告人は、被害者に重篤な傷害を負わせた可能性の高い交通事故を起こし、自車を停止させて被害者を捜したものの発見できなかったのであるから、引き続き被害者の発見、救護に向けた措置を講ずる必要があったといえるのに、これと無関係な買物のためにコンビニエンスストアに赴いており、事故及び現場の状況等に応じ、負傷者の救護等のため必要な措置を臨機に講じなかったものといえ、その時点で道路交通法72 条1 項前段の義務に違反したと認められる。」と述べました。  
私は、判決を聞いた瞬間に涙が溢れました。これまでの出来事やお世話になった皆様のお顔、そして、穏やかな表情で微笑む息子の顔が浮かびました。「当然」とも言えるこの判決を聞くまでに、事件から10年近くかかりましたが、長年の訴えが最高裁の法廷で認められたことに、大きな意義を感じました。 
 
8. この度の最高裁判例が社会に広く周知され、捜査や司法に携わる皆様の今後の取組に生かされること、そして、ドライバー一人ひとりが負傷者への救護措置を臨機に講じ、息子のような被害者が二度と生まれない社会になることを切に願います。また、報道等で息子の事件を知ってくださった皆様には、飲酒運転や救護義務違反の撲滅に関心を寄せていただければ幸いです。 
どんなに頑張っても息子の命が戻ることは無く、虚しさもありますが、これからは、息子を偲びつつ家族の心身の回復に努めると共に、私たちのような思いがくり返されることがないよう自分にできることを続けていきたいと思います。  
最後に、息子の事件でお世話になった皆様に、この場をお借りして心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。