犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 交通犯罪被害者遺族として

交通犯罪被害者遺族として

公益社団法人被害者サポートセンターおかやま(VSCO)
K・W
「犯罪被害者の声 第17集」より

平成31年4月5日 午前9時9分、県内の路上で道路工事のため交通規制をしていた私の夫は、居眠り運転の加害者の車に衝突され亡くなりました。享年48歳。
あまりに突然の別れに、運びこまれた病院の玄関で足元からくずれるように、その場にへたり込みました。
その時から、何か夢の中にいるような、現実と感じられない日々が始まりました。 「配偶者の死別はストレス100%」という記事を見つけた時に、これが今、私に起こっている事なのか?ストレス100%ってこういう事なのか?と不思議な気分でした。しかし、その後の私の生活が崩壊するのに時間はかからず、昼夜逆転の日々が始まりました。
日の光を避けていた日々、買い物は24時間営業のスーパーに深夜に訪れるようになりました。食欲もなくなり、夜はバナナ1本とカフェオレ1杯。その時の友人のすすめで心療内科にかかり、薬を処方されました。医師からの説明は、「今回の出来事で脳にダメージをうけた箇所を迂回して別の道につなげる薬です」でした。その頃の心境は、何かもう一押しされたら死ぬだろうと思い、むしろ死にたい気持ちで過ごしていたのかもしれません。その気持ちが体に症状として現れた頃でした。真夏の夜に深夜にスーパーに買い物に行った時、ふと窓に写る自分の太ももを見たときに驚きました。げっそりと落ちた筋肉、そういえば、いつからかふとんから起き上がるときに、クローゼットに手をかけて起き上がるようになり、痛みも感じていました。それでも現実を受け入れず、心療内科医の助言も受け入れず、整形外科の受診は自分でもどうにもできなくなってでした。骨には異常なし、とにかく歩いて筋肉をもどすしかないとの診断。たんぱく質不足。横断歩道を渡りきれず、走ることもままならない日々でした。
そんな時にテニスの仲間の1人から「やせてちょうどいいんじゃない?」という一言。好きでやせたかった訳じゃないと傷つき、人との距離をおくようになりました。
私の母からは執拗に「お骨をお寺に預けてはどうか?」と言われましたが、一旦、お寺に預けるということは、その後は子どものいない私たちだったので永代供養が最善だと頭では分かっているのですが、手放すことも出来ず、自宅に保管しています。おそらくまだ年数はかかると思います。仏具屋さんに相談すると「お骨の一部を自宅に残すというやり方もあります」と言われた時には、実行に移すのも時間がいるなぁと思ったものです。
ある日、主人のテニス仲間の1人から「前向きになれ!」と言われ、それからしばらくふつふつと悩み、彼に「前向きの言葉の意味がわからない」と言いました。具体的な内容ではない言葉は、時には刃になるのだと感じました。
心療内科に通う友人には、「元気を出すには自分の中でエネルギーが充分たまらないと元気は出ない」と言われえらく納得しました。
交通犯罪の刑事裁判は、禁固刑2年6か月、余りにも短い刑期ですが、今の法律はここまでが限界と知り、それ以上は望めない状況でした。
その後、被告人が交通刑務所での過ごし方の報告をうけるたびに、「変化なし」の項目を目にする度に、あんなに命を削るくらいにがんばった遺族陳述、私1人の空回りなのか?と悩む日々がありました。
そして2年3ヵ月経ち、仮釈放の申請が出ていて、犯罪被害者遺族として意見を出させてもらいました。被告人の仮釈放は決定。保護観察所より文書をもらい、加害者に言いたいことがあるなら最後のチャンスだと言われ、私からの所簡を保護観察官に送付してもらい、返事が来る来ないは加害者が決めるので、期待はせずに待ち返事があったので、保護観察所で、文書の内容の説明を受けました。加害者は、犯罪被害者遺族の私に謝罪したい旨と主人の墓参りの承諾を得たいと書いていました。
2年3ヵ月、加害者に十字架の重さがあったのかと思いましたが、どうやら思うことと実行に移すにはひらきがあり、おそらく加害者は私が忘れたころに謝罪の連絡をしてくるかもと説明があり、長くときがたち過ぎると謝罪の意味をなさない事を加害者は分かっているのか?と思い知らされました。
毎月、月命日には事故現場で主人の飲んでいたビールをまいて帰り、仏前のお花を新しくする事をやっています。もうやめようかと一度、行くことをやめたことがありますが、次の月には現場を訪れる事を再開していないと、心のもやもや感が消えないのです。
体調と心のエネルギーがもどったら、何か人のためになることをしたいと思っています。毎日、交通犯罪のニュースが全国で流れる度に、心の中で手を合わせています。