犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 『私の交通安全運動 四歳のままの弟』

『私の交通安全運動 四歳のままの弟』

公益社団法人大分被害者支援センター
G・T
「犯罪被害者の声 第17集」より

『交通事故は一瞬の出来事です。』
いつ、誰が、何処で起こすかなんて分かりません。そして誰が被害者になるのかも分かりません。
交通事故と聴いて、皆さんは何を思い浮かべますか?
アニメやドラマ、映画とかで、車に轢かれそうになっている子供やお年寄り、子犬や子猫を主人公が轢かれる寸前で助けるというシーンをよく見る事があります。 しかし、それはいわゆる作り話の理想のお話です。事故に遭ったとしても、異世界に転生、もしくはタイムリープなどが起これば良いなとは想いますが、現実はそんな理想とは違っていて、今現在も毎日、交通事故は起きていて、尊い命が奪われています。交通事故はとても悲惨であって、とても悲しい出来事です。多くの人を巻き込んで、悲しみのスパイラルを広げていきます。
私は、交通事故と聴いて、弟の事を想い出してしまいます。
私が、小学校二年生の三学期の2016年3月20日、四歳になったばかりの弟が自宅の前の道路で、車に轢かれました。轢かれたと言うより四十メーター以上跳ね飛ばされました。私の目の前で事故は起きました。私は畑の横の里道に座っていました。一瞬の出来事でした。今まで一緒に元気よく遊んでいた弟が、自宅の方から手を挙げて広域農道を私の方に向かって渡って来ようとしていました。すると右側から走ってきた白い車と共に、弟は目の前からいなくなりました。本当に一瞬の出来事でした。何が起こったのか分からずに顔を上げて見渡してみると、白い車が通り過ぎて止まったはるか遠くの道路に、弟は跳ね飛ばされて横たわっていました。弟はピクリとも動きませんでした。私は、何が起きたのかも分からず、その場で座り続けていました。そうしたら、畑にいた母が弟に駆け寄りながら、母は私に向かって
『弦伸、お父さんを呼んで来てーっ!!!』 
と叫んでいました。
私は、無我夢中で走り出し、父のいる方に向かいながら、
『お父さん、
  かず君が車に轢かれたーっ!!! 
かず君が車に轢かれたーっ!!!』
と大声を出して、庭で作業をしている父のいる方に向かいました。
その後、救急車が来て弟は病院に運ばれて行きました。
その日の夜遅くに、弟は帰っては来たのですが、元気でよく笑う弟はそこにはいなく、まったく動かず、まったく笑いもしない、額に大きなガーゼを貼られて、傷とあざだらけの弟の姿がありました。
六年も前の小学二年生の時の事なので、はっきりとは覚えてはいないのですが、自分の行いを悔やんだのだけは覚えています。
あの時、あそこで、弟が道路を渡ろうとしているのを止めておけばよかった・・・。
弟の面倒をちゃんと見ていたらよかった・・・。
私が、道路の反対側で座っていなければよかった・・・。
自分がしっかりとしていたら、もしかして弟が死なずに済んだのではないかと、今でも想う事があります。しかし、過去は変えることはできません。
弟を轢いたのは、隣りの地区の人でした。何度も会った事がある人でした。そして湯布院駐屯地所属の自衛官でした。国民を守るはずの自衛官が弟を殺したと知った時は、とても複雑な気持ちになりました。そして野津原中学校のPTA会員でもあった事を最近知りました。交通事故というものは、誰もが起こしてしまう可能性があるという事です。
父は、弟の事故以来、大分市の交通指導員の委嘱を受けて交通安全運動の活動を実践しています。交通事故で悲しい想いをされる人をなくしたいと言っています。弟は生きていれば今年で十歳の五年生です。『弟の代わりに小学校まで歩いているんだ。』とも父は言っています。
父から、車で一番大切なのは何かと聴かれる時があります。私は、エンジン?タイヤ?ハンドル?暑いときはエアコン?!などと答えます。
しかし、父の答えはいつも決まっていて、車で一番大切なのは『ブレーキ』だと言います。ブレーキの無い車、もしくはブレーキが利かなくなった車は怖くて運転など出来ないはずです。父は、自分の交通指導員としての制服姿が、すれ違うドライバーさん達の
『心のブレーキ』になってほしいとよく話をしています。弟の事故の事を記憶に残して、思い出してもらえれば、交通事故は他人事ではないのだと想えるはずです。
警察官や交通指導員、そして被害者や被害者遺族の声に耳を傾けていく事で、一人ひとりの交通安全の意識や、交通危険への認識を深めていければ、きっと交通事故は減らせる事が出来るはずです。日頃から小さな事に於いても、ちゃんとルールを守ったり、マナーを高める事も大切な行いなのだと想います。
自己中心的な発想で、自分勝手にルールを解釈して捻じ曲げて、グレーなものを白だと言い続けていると、いつの間にか黒もグレーにしてしまうのが人間の悪い処だとある小説に書いてありました。
逆に、人間の特質すべき能力は、
『思いやりと譲り合い、そして助け合い』
なのだとも本の中に書いてありました。
あらためて書きます。
『交通事故は一瞬の出来事です。』
いつ、誰が、何処で起こすかなんて分かりません。そして誰が被害者になるのかも分かりません。将来、私自身が起こしてしまうかもしれません。今、この文章を読まれている貴方が起こしてしまうかもしれません。車社会である現代社会で、その車を不完全である人間が運転している以上、交通事故はこの世から無くならないのかもしれません。弟が交通事故で死んでしまった過去も変える事は出来ないのかもしれません。
たとえ事実は変えることは出来なくても、抱いた想いはいくらでも変えていく事が出来るのではないかと想います。悪い過去を少しでも美しいものに変えていく為にも、人間の特質すべき能力である、
『思いやりと譲り合い、そして助け合い』
の心を交通安全運動に取り組みながら、私は鍛えて行きたいと想います。