犯罪被害者に寄り添い支える 公益社団法人 全国被害者支援ネットワーク

全国被害者支援ネットワークは、全国48の加盟団体と連携・協力しながら
犯罪被害に遭われた方々へ支援活動を行なっています。

犯罪被害者の声 裁判とは司法とは誰の為にあるのでしょうか?

裁判とは司法とは誰の為にあるのでしょうか?

益社団法人千葉犯罪被害者支援センター
S・N
「犯罪被害者の声第10集より」

平成28年1月21日 判決の日
「過失運転致死傷罪 懲役6年」

これが飲酒運転、120Km 以上での暴走、脇見運転、第一事故からの逃走といういくつもの危険な運転の中、原付バイクの息子に衝突し即死させた犯人への判決でした。
危険運転致死罪の判決を信じていた私達家族は耳を疑い、同時に加害者天国の現実を目の前に突きつけられた瞬間でした。
忘れもしません…平成26年5月27目、夜11時過ぎの事です。突然私の携帯が鳴りました。翔哉の通う大学の先生からでした。いつもとは違う神妙な声で「お母さん、落ち着いて聞いて下さい。鈴木翔哉が今、交通事故に遭い即死しました」とおっしゃいました。私はパニックになり「ワーツ」と泣き崩れました。心の中で「息はしてないの?」と思ったのですが言葉が出ませんでした。母が2階で寝ている主人に向かって「翔哉が事故で死んじゃった」と叫ぶと階段を転げ落ちる様に降りて来ました。

私は、この後から半年の間ショックのあまり記憶がありません。

裁判では私達は被害者参加制度を利用しました。
「直接、被告人に質問したら」と弁護士の先生に薦められ、被告人質問を私と母と二男の三人で、被害者側証人質問を主人が、意見陳述を私と二男で行いました。家族一丸となってこの裁判に立ち向かいました。
この制度を利用するのにはとても勇気がいりました。
実は私は事故の翌年から現実逃避をする様になり、翔哉は千葉で元気に大学ヘ行っていると思うようになっていたからです。そうしなければ自分を保っていられなかったのです。翔哉の事故の写真も長い間見ることができませんでした。 見たら事故当日に自分が引き戻ってしまいそうで怖かったのです。
それに事故当日同行した兄に、警察官が「ショックが大きすぎるから、絶対に家族に遺体を見せないように」と強く言われていたこともあり、兄が写真を見ることを阻止していたことも理由のひとつでした。

しかし裁判を迎えるにあたり、現実を見なければ全力で戦えないと思い、写真を見るのは落ち込むためではなく、裁判で戦う力をもらうためだと何度も自分に言い聞かせ、兄や家族にも納得してもらい、平成27年12月9日に支援センターや中野区役所の方々立ち会いのもと、私が依頼している弁護士の先生にお願いして写真を見せて頂きました。

先生は今まで交通事故の写真を何枚も見てきたけれど1番酷いとおっしゃっていたので覚悟はしていましたが、この時立ち合いのみなさんが居て下さらなかったら私は取り乱していたと思います。とても心強かったです。
公判前手続きの時、検察官は裁判長から「危険運転致死罪にならないんじゃないか」と早々に言われ、やむを得ず予備的訴因で「過失運転致死罪」を追加しました。今思えば、この時から裁判官は危険運転致死罪などとは考えていなかったのかもしれません。なぜ裁判長が過失運転にこだわったかというと過去の裁判例では、制御困難なスピードが危険運転と認められるのはカーブや下り坂等の道路状況を前提にするからとの事です(図面だけ見ると一直線に見え、下り坂の程度や逆バンク等わからないが実際の現場は明らかな右カーブで下り坂。しかも逆バンクでした)現場を見ていない裁判官が机上で判断した事に驚きました。

そして、何より不快だったのは裁判の際、裁判官が入廷して席に座る時、右陪席裁判官と被告人の弁護士が笑顔で会釈をした事です。
今から裁判が始まるという時にこの光景を見てしまいました。ここは通路でも歩道でもありません!法廷です。私達家族は裁判官に対して不信感を抱いてしまいました。
被告人は飲酒運転をし、第一事故を起こし飲酒がバレるのが嫌で(同乗者にも迷惑がかかる)逃走、被害車両が追いかけて来たので猛スピードを出し、後ろを気にしながら、ラーメン屋に右折して入ろうとしていた息子の運転する原付バイクと正面衝突しました。

息子はとても体格が良く、身長188cm・体重160kg です。10年以上柔道で鍛えた体です。現場にいた警察官が息子の友達に「これは自動車事故ではなく電車と衝突した様な事故です。普通の体の子だったらバラバラになっていた」と言ったそうです。体の大きな翔哉だから何とか形は半分あったのだろうと言われました。
悔しい事に遺体の写真は採用されず、簡単なカルテの様な線だけの人形(ひとがた)に損傷した所をピンク色の斜線が引いてあるだけの物でした。これでは事故の衝撃が伝わらないと思いました。せめて白黒写真、それでも駄目ならもっとリアルなイラストにしないと裁判官や裁判員の方には伝わらないと思いました。
実際の翔哉は胴体右半分が完全に切断されて離脱し、心臓、胃、肺、肋骨等が露出し、路面には小腸が数十メートルに渡って引きずられる様に付着していました。左足は膝から引きちぎられた様に切断された酷い状態でした。顎は潰れ、唇の両端が裂け、紫色に腫れ上がった顔。
指の肉も削げ骨が露出して、手も組めない状態でした。最後に手と足の爪を切ってあげたかった…
五体満足で生まれて来てくれた翔哉。それなのに…

翔哉は生前、友人も多く「気は優しくて力持ち」、弟の事が自慢で、私の事が大好きな子でした。後から聞いた話ですが、ある時友人から「マザコン」だとからかわれた時に、いつもは温厚で怒らない翔哉が「母さんから生まれて来て母さんの事が嫌いな奴なんているのか!」と初めて強い口調で言って友人達が驚いたと聞きました。今では私の宝物の言葉です。

検察側の鑑定人は「翔哉の原付バイクが仰角を持たずに水平に飛ばされて230M先の地面に落下した」と言っていました。でも、その鑑定は現場の痕跡とは合っておらず不自然な鑑定でした。その為、裁判官が証拠として採用しなかったのだと思います。
又、EDR という聞いた事もない専門的な鑑定は解りにくかったのだと思います。もっと慎重に鑑定してくれさえいれば沢山の真実が解明され裁判員の方々の判断も違っていたと思うと残念でなりません。

翔哉は大学4年になり就職も内定し「これから」という時に被告人の「ムシャクシャしてた」という感情と行動で21歳という若さで命を絶たれてしまったのです。私があの日、あの時間に電話をしていたら事故に遭わなかったかもしれないという後悔。そして翔哉じゃなくて私が死ねば良かったのに…という想い…
翔哉、守ってあげられなくてごめんね…

裁判の時、被告人は涙を流し反省している様子を見せました。でも、私達の目にはそうは映らなかったのです。初日から入廷しても私達と目を合わさず頭を下げる事も無く休廷になるとさっさと背を向けて部屋を出て行きました。
初めて私と目を合わせたのは最終日の被告人質問の時でした。私が翔哉の遺骨が入っているペンダントについて質問した時に初めて私の方を向いたのです。この質問をしなかったら最後まで目を合わせなかったと思います。そして被告人の弁護士は、事故の事より被告人の生い立ちや環境を長い時間を使って発言していました。それは刑の軽減の為の策略の様に感じました。
私は犯人の犯した罪への量刑を決める裁判ではなく、犯人の罪を軽くする為の裁判なのではと思ってしまう程でした。
被告人は話せます。翔哉は話したくても話せないのです。こんなに不公平な事はありません。事故の瞬間は被告人と翔哉しか知らないのです。

日本の法律は亡くなった人より生きている人の為の法律なのです。
やはり「加害者天国日本」です。日本の司法には、本当にがっかりさせられました。
被告人は衝突した時のスピードは120km と言いました。それは“ 高速道路で出した時のスピードと同じ体感だったから” という理由からです。
驚いた事に最終的なスピードの判断に、体感で感じただけの証言が使われたのです。
確かに先ほども述べたように私たち側の鑑定人の内容がわかりにくく、的を得ていなかったのは事実ですが、まさかただの体感速度の発言の方を信じるとは…

結果的に
★被告人が反省している
★身元引き受け人が居る
★第一事故の示談が成立している
★保険に入っている
以上の理由により判決が下った訳ですが、その時に裁判長が発した「120km 程度」と言った言葉が胸に突き刺さりました。例え時速120km だったとしても制限速度50km の道路では決して「程度」などと言った軽い表現ですませられるようなことではありません。こんな納得のいかない判決になってしまい翔哉に申し訳ない気持ちで涙が溢れました。

色々なご縁があり、福岡の犯罪被害者遺族の方が中野区役所の方を紹介して下さり、そこから支援センターの方を紹介していただきました。
途方に暮れて身動きがとれなかった私達に、本当に良くして下さいました。特に支援センターの皆さんは裁判の間も連日遅くまで私達に寄り添い、たくさんの資料作りや、相談にのって下さり全力でサポートしてくれました。
そして、私の親友は、体調の悪かった私の母が心配だからと、家の事を家族にお願いして、4日間の裁判に同行してくれました。第三者として彼女の存在はとてもありがたかったです。

今も支援センターの皆さんはじめ、たくさんの方に支えていただきながら息子の事故と向き合おうと毎日葛藤しています。

私の願いは社会の皆さん一人一人が飲酒運転をもっと重く受け止め「たかが一杯、まさか自分が」と思わず、一口でもお酒を飲んで車を運転したら、それだけで危険運転になるようにしていただきたいのです。そして被害者にも加害者にもならない社会が実現する事です。