「一瞬にして奪われた二人の生命」
公益社団法人くまもと被害者支援センター
自助グループ「さくらの会」
匿 名
「犯罪被害者の声 第19集より」
我が家にふりかかった事故は、2021年の11月1 日、月曜日の朝4 時55分頃でした。
主人と次男が魚釣りに行く途中で事故に遭い、二人とも亡くなってしまいました。
6 時前に固定電話が鳴り、1 階で寝ていた義母が出て「えー、事故に遭った?」という声を聞いて急いで下りて行き電話に出ました。救急隊の方が「ご主人と息子さんが事故に遭い、ご主人さんは即死状態で、息子さんはかすかに意識はありますが、どこの病院に搬送するか探しているところです」と言われました。どうしよう、たいへんなことが起きた、と思い、心臓がバクバクしました。電話を切ってしばらく、おろおろする状態で、とにかく、主人の方に向かおうと準備しました。でもその時、なぜか、息子は大丈夫、息子に限って死ぬはずがないと思いました。
6 時20分頃、家を出て、主人が運ばれた病院へ向かいました。途中で、救急隊の方から電話があり、「息子さんは日赤病院へドクターカーで搬送します」と言われました。すぐに長女に電話をして日赤病院へ向かうよう伝えました。二人が別々の病院になったので、できることなら私の身体を半分にして両方の病院に駆けつけたかったです。
病院へ着くと、主人はストレッチャーの上で半透明のビニールに覆われており、変わり果てた姿を見て愕然としました。看護師さんから「顔を拭いてあげて下さい」とおしぼりを渡され、拭きながら「どうして? 何があったと? あれほど楽しみにして出ていったのに・・」と思いました。それからしばらくして、警察から電話があり、息子が亡くなったと言われ「うそ、何かのまちがいでしょう」とはじめは信じられませんでした。
血の気がさーっと引いたようで立っていられませんでした。救急隊の方から電話があった時に私の声を聞かせて励ましていたら、命を取り留められたのではないかと思っています。
まだ28才、これからが長い人生だったのに。わが子が亡くなる事のつらさ、悲しみは、たとえようのない苦しみでした。そして、前日の息子との会話や姿が最後だったと思うと「夢であってほしい」「夢の中の出来事」と思いたくなりました。
どうしてこんな事になったんだろう、主人が運転を誤ったのだろうか……
事故当初は、相手が「主人の車が中央線を越えてぶつかってきたから居眠りだろう」と言っていたそうです。そのことを長男に伝えると「時々一緒に釣りに行くから分かるけど、お父さんの運転は慎重で安全運転だから、絶対に違う」と言っていました。結局、長男の言うことが正しく、相手の逆走による一方的な事故だったことが分かりました。
11月1 日、この日は秋晴れの暖かい日でした。自宅に帰って、座敷に2 つの棺を並べ、こんなことがあっていいのか? 私が生きてきた中で最悪の一日でした。同居している義母は、悲しみとショックで朝からの数時間の記憶がない状態で、二人が亡くなったと知った時は、泣き崩れ、ふさぎ込んでしまい、しばらく人に会えない日が続きました。義父は、認知症で介護が必要だったので、近所に住む義理の姉に来てもらっていました。
私がしっかりしないといけないと思い、お葬式、事故後の手続き、二人の退職や保険の手続きなどを長男、長女に協力してもらい、2 か月くらいは忙しい毎日でした。
息子は他県で仕事に就いていて、久しぶりの帰省の初日に事故に遭いました。11月の下旬に息子のアパートに親子3 人で片付けに行きました。事故前日の仕事の後、その足で高速バスで帰ってきたので、部屋はたぶん散らかっているだろうと思いましたが、割ときれいに片付いていました。料理を作った時は、写メで送ってきたり、作り方を聞いたりと自炊も頑張っていたようです。翌日、職場に挨拶に行くと、たった7 か月の在籍だったにもかかわらず、スタッフの皆さんが駆け寄ってこられ、お悔みの言葉をいただきました。アパレル系のお店で営業中でしたが、息子の仕事の様子を教えてくださり「まだ一緒に働きたかった」と言って頂きました。やりがいのあるいい職場だったと思います。アパートを引き払ってからは、公共料金や通信関係の契約先を銀行の通帳から探して、解約手続きを取るのにとても苦労しました。
当時、主人の両親と私たち夫婦の4 人家族で、長男、長女はそれぞれ結婚して家庭をもっていました。同居している義父は、もの静かで優しい性格でしたが、熊本地震以降に認知症を患い、義母の介護を受けながらディサービスに通っていましたが、二人が亡くなった次の年に二人の後を追うように亡くなりました。それから義母と私との2 人暮らしになり、とても心細かったのですが、長男長女と近所の方々の協力もあり、なんとか生活ができて、とても助けられました。
私たちは、周りに支えられ今日まで来られたと感謝しています。
亡くなった主人ですが、持病もあったのでパートで仕事をしていました。勤務態度は真面目で、職場の雰囲気を明るくするような気づかいのできる人でした。同僚の相談にのったり、趣味の魚釣りに誘ってA地まで行ったりと社交的な性格でした。また、五人の孫たちの成長を楽しみにしていて、部活のサッカーや運動会の応援には必ず私と一緒に行っていました。趣味の魚釣りは遠方まで行っては、大物を釣って帰り、夜遅くまでさばいていました。そして、釣り竿やリールの手入れは念入りにおこない、2,3年前からは釣り竿を自分で手作りするくらい魚釣りが大好きでした。
息子は高校卒業後、関東の企業に就職しましたが、先生の教えを守って3 年間勤めた後、自分のやりたいこと、チャレンジしたいことが見つかり、会社を辞めました。そして、しばらくはアルバイトを掛け持ちしながら東京で夢の実現に向けて生活していました。その後はアパレル系の会社に就職しましたが、「実家が心配だから、地元に帰りたい」と希望し、近県に異動になったのが事故にあった年の春でした。息子は、慎重派の長男とは違っていろんなことに挑戦する性格で、友だちも多く、帰省した時は、家族でゆっくり話をする暇がないくらい、夕方になると友達が迎えに来て、出かけていました。職場では、クライアントアドバイザーとして期待されていて、お店に必要な存在と言われていたようです。息子を悪く言う人は一人もいなかったです。自慢の息子でした。
事故後は、数回、警察へ被害者家族の事情聴取に行きました。そして、刑事裁判の準備をすすめていましたが、5 月中旬に弁護士さんから電話があり、加害者が病気で亡くなったと言われました。事故後の健康診断で肝臓ガンが見つかったとのことで、弁護士さんも裁判前に加害者が亡くなったケースは初めてです、と言われました。聞いた瞬間、その場にへたり込みどうしてこんなに不幸が続くのだろう、神様に見離されたんじゃないかと思いました。怒りの矛先をどこにぶつけていいのか、やっと裁判で事故後の様子や心情、反省の言葉など聞けると思ったのに。これからどうすればいいのか、不安でいっぱいでした。
結局、加害者死亡のため、裁判はなくなり、直接、謝罪の言葉は聞かれなくなってしまいました。せめて書面上での心情や状況が知りたいと思い、弁護士さんに相談して、検察庁に加害者の供述調書など、できる範囲で書類のコピーをください、とお願いしました。
書類はいただきましたが、中身をじっくり読むことはできず、簡単に目を通しただけでした。なぜなら、書面上の言葉は軽薄で謝罪には値しないと感じたからです。加害者は入院中であっても必ず裁判には出頭するという意思はあったようで、事故の直接の原因は考え事をして運転に集中していなかった、と書いてありました。加害者は野菜、果物等を行商する商売をしており、当日は仕入れのことばかり考えていたようです。同乗していた三女は、81歳の親を暗い朝方に運転させることに、危機感はなかったのか不思議でなりません。家族にも責任があると思います。でも、加害者が亡くなったからといって同乗していた娘に責任転換することもできません。つらくてくやしかったです。
天国の二人も無念だったと思います。私たちの気持ちを少しでもわかってもらえるように手紙を書いて、弁護士さんに渡してもらいました。
結局、事故の賠償金は保険会社から支払われるので加害者側には金銭的な痛手は全く無いわけです。どうやって誠意を見せるのか、これからの償いをどう考えているのかと思いました。
事故直後「仏壇にお参りさせてください」と弁護士さんを通じて言ってきましたが、私は顔も見たくないし、来られても冷静でいる自信がなかったのでお断りしました。それ以降、一周忌と三回忌に献花が送られてきただけで、その後は何もありませんでした。忘れようとしているのでしようか。
最近は、二人がどんなに大切な家族だったか加害者家族にも見てもらいたいと思うようになりました。先方が「お参りに行きたい」と言えば受けようと思います。遺影の二人の顔を見て欲しいです。父親が二人の命を奪った事はひとときも忘れて欲しくないし、残された家族の悲しみや辛さも一生背負って生きてもらいたいと思います。
事故の前の年の令和2 年からコロナウイルスが流行していた影響で、息子は異動で近県までは来たものの地元に帰る事ができませんでした。
今回、久しぶりに9 日間の長期休暇が取れてとても喜んでいました。
当初の予定では、以前から息子が行きたがっていたK県に行く計画を立てましたが、5 日ほど前に電話がかかってきて「お父さんと魚釣りに行きたいから先延ばしにしていい?」と聞いてきました。「だめ」とは言えませんでした。あの日、当初の予定通り行っていれば事故には遭わずに済んだのに、と自分を責めました。主人は即死でしたが、息子はお父さん思いだったので、たぶん、一人だけ天国に行かせるのはかわいそうだと思ったのではないでしょうか。今ごろは、主人、息子、そして義父と三人で私たちの事を見守ってくれていると思います。これからは、残された家族が三人の分まで精一杯生きていこうと話しました。
あの日から、毎週日曜日の夜になると事故の事を思い出してつらくなるし、月曜日の朝方目が覚めると、今ごろは車の中で魚釣りの話をしながら目的地に向かっていたのだろうな、とか、息子は職場の話や友の話をしていたんだろうなと想像してしまいます。
「たら」「れば」の世界になりますが、私が一番後悔しているのは、魚釣りに出る前に、私が起きて「気をつけていってらっしゃい」と言わなかったことです。二人の事に気づいていたのに、見送ってやらなかったんです。言葉には「言霊」があると言います。この一言を言っていれば、何秒かの差で事故に遭わずに済んだかもしれないと思うと苦しくなります。
二人がいなくなって丸3 年と4 か月たちましたが、毎朝お経を唱えて心を落ち着かせ天国の二人に届くようお参りしています。まだまだ私たちの気持ちはあの時のままです。
会いたいです。「夢でもいいから会いに来て」と心で言っています。主人の乗っていた車と同じ車種を見るとつい目で追ってしまうし、主人と同じような格好をした人を見ると「お父さんみたい」と恋しくなります。息子の友だちが結婚して子どもが産まれたと聞くとうれしい反面、淋しくなります。息子は28歳で止まったままです。年を重ねていく息子を見たかったです。
被害者支援センター「さくらの会」は昨年9 月から参加させていただいています。
当初は、後の処理に忙しかったし、職場復帰して毎日を目まぐるしく過ごしていたので、メンタル面はまだ大丈夫だと思っていました。でも、日が経つにつれ、主人と息子の事を母に話すと、二人とも悲しくなって泣き出すことも多かったし、つらい時もありました。自分の思っている事を話せる場所が欲しいと思い「さくらの会」に参加するようになりました。
「さくらの会」では驚きや参考になる話もあり、遠慮なく語り合えます。
スタッフの方々も私たちに寄り添い温かい言葉をかけてくれます。もう少し早くから参加して会のみなさんの意見を聞けばよかったなあと思いました。例えば、加害者家族に二人への償いとしての約束事をはっきり提示するべきだったということです。私は、加害者家族は誠意をもって行動してくれるものと甘い考えでいました。毎年献花を送る、お参りに来る、とか約束をしていればよかったと反省しています。
事故後の整理をしていて思ったことは、一人暮らしであれば、光熱費、通信会社の契約先を家族は聞いておく。携帯電話の暗証番号をどこかに書き留めておくか、家族が聞いておく。アパート、携帯電話はしばらく継続して気持ちの整理がついた時に解約する。保険関係の税務申告については必要か確認する。このことは、私が後悔したことであり当時者でないとわからないと思います。今後、被害者家族に接する時に参考にしていただけると幸いです。
高齢者の交通事故は増える一方で減ることはない現状です。我が家の事故も、もし、加害者の娘が運転していたら起きなかったかもしれません。運転免許証の返納に関してですが、都会のように公共の交通手段がいろいろあると、スムースな返納ができると思いますが、地方になると、通院や買い物など、やっぱり車が必要になります。先日、新聞に乗り合いバスやタクシーを利用しやすくするためのサービスが始まっている地域の記事が載っていました。広く浸透すると生活しやすくなるはずです。買い物も、宅配や移動販売などを社会全体で取り組むべきではないかと思います。それと、基本的に車の運転に自信がなくなったり、家族に免許証の返納を勧められたら、素直に従って欲しいと思います。
交通事故は、加害者側も被害者側も辛くなるし、人生が狂ってしまいます。社会や人々に迷惑をかけないよう謙虚な気持ちで生活してほしいし、私もそうしたいと思っています。
